日本明慧


再び執着を取り除き、絶えず精進する

 文/大陸の大法弟子

 【明慧ネット2006年2月26日】私は97年5月に法を得ました、以前は、いろんな病気が身辺につきまとっていましたが、大法を修煉して健康になりました。心から偉大な師父に感謝して、出会う人に大法は素晴らしいと伝えたので、私が住んでいる村の多くの人は、法輪功を修煉し始めました。共産邪党が残酷に大法を迫害し始めてから、私は、邪党の役人の迫害を受けました。迫害に耐えられなくなって修煉をやめ、修煉の道で曲がってしまい、思い出すと残念な気持ちでいっぱいです。しかし偉大な師父は、再び各種の方式でひとつずつ私が悟れるように教えてくださり、私を再び修煉の道に戻らせて、法を正す時期の大法弟子にしてくださいました。私はいま師父が要求された三つのことをしっかりやって絶えず精進しています。

 私は、名と情に対する執着が重く、例えば、私の息子は一昨年結婚しました。当時は、私は心の中で必ず花嫁を大事にすると思って、花嫁に、私が良くないと言われないように、いたるところで言いなりになっていましたが、しかし嫁はやはり私がよくないと言いました。大きいことでも、小さいことでも、欠点を選び出し、私はとても、つらく思い、一度家で争う中で、嫁に殴られたりけられたりしました。私は怒りで憤慨して、嫁の実家に電話して論議しました。私は彼らに、「もし、法輪功を勉強していなければ、こんなに、おとなしくするわけがない、必ず彼女とけんかするはずです」と言いました。

 嫁が赤ちゃんを産んで、私は毎日、嫁のところに通って面倒をみているのに、彼女はいい顔をしないので、私は、行って世話をしなくなりました。行かないと、彼女は毎日、何かの口実を見つけて、怒って文句を言ったり、けんかをしたりするのです。行かなくても家にいられないようにいじわるをして、お互いの関係は非常に緊張しました。師父は、「生无所求,死不惜留;荡尽妄念,佛不难修」(洪吟《无存》)(生きて求める所なく、死して留めるを惜しまず念を蕩尽すれば、仏を修するも難からず)と、教えてくださいました。心の中で師父が私に警告してくださることが分かっていても、しかし、面子はなかなか放下できませんでした。やはり自分は、年上だと思い、毎日彼女を中心にすることはできなかったのです。子供を私のところに預けてくれれば面倒見るけど、行ってまでは面倒見ないと思いました。

 饅頭は、いくら大きくても、饅頭をいれる籠を超えることは許せないと思いました。常人から見るとこの理は正しいのです。しかし、修煉者の角度から見たら間違っています。当時の私の心は、常人みたいなものでした。その後、学法を通じて、同修の助けをもらって自分の不足を認識できて、放下できないものを放下しようと決意しました。常人の名、利、情の執着から飛び出し、私は自ら、彼女のところに行って、子供の面倒をみて、嫁が何を言っても、気にしません。心の中で師父の言葉、「心不在焉——与世无争」(『洪吟』)(心為すに在ら不(ざ)れば、世と争うこと無し)を思い出して、自分を制御して、心のバランスが正しく取れるようになり、嫁との間の関係は、ますますよくなりました。自分の体験から、私たちは普段、自分に厳しく要求し、真善忍の基準で自分の一言一行をおこない、自分の親族に大法の慈悲と修煉者の善で接したいと思います。

 以前、法の勉強は精進せずしっかりしていませんでした、同修が法を暗記するのを見て自分も大法弟子だから、他の人が暗記できるなら、私も暗記できると思い、途切れ途切れで何回も覚えたことがありましたが、全部で10数ページまでしか覚えられず、続けることができませんでした。2005年8月末、たくさんの同修が法を暗記しているのを見て私はまた覚え始め、今回は必ず最後まで続けて、絶対に中途半端にしないと決意しました。最初のときは、2、3日の夜をかけて一段落を覚え、時には一日かかっても、一段落覚えられなかったのですが、このときは、必ず暗記できる、絶対に放棄しないと思いました。だんだんと毎晩一段落覚えるようになりました。農村では、秋はとても忙しく、とても疲れます。でも、どんなに忙しくても、疲れても、私は続けて暗記し、時には一日に3段落を覚えるようになり、今は、100数ページまで覚えました。

 法を暗記することを通じて、私は、しっかり法を勉強することでしか自分を変えることができず、また、心性を高めることができると感じました。以前、私は、常人の中で闘争心がとても強く、とても話し好きでしたが、今は言いたくなくなって、つまらないと感じています。私たちのところは果物が豊富で、昼でも、夜でも働いてお金をもうけるところがあって、以前は、日中は自分の家の仕事をやって、夜は、リンゴを集めるところで、リンゴの包装をしていました。今年は、時間を作って法を暗記しましたが、今年の収入はいつもの年よりよくなっています。

 これらのことを通じて、私は真に師父が『妨害を排除せよ』の中でおっしゃったことを感じました。「法はすべての執着、すべての邪悪、すべての虚言を破ることができ、法は正念を固めることができるのである」(『精進要旨(二)・妨害を排除せよ』)

 私は農村の弟子で、家庭はそんなに裕福ではありません。しかし、法を実証し、衆生を済度するため、師父の助けの下で、私は、千元ぐらいの機械を一体買って自分で大法の資料を作って必要なだけ印刷するようになりました。畑へ仕事をしに行ったり子供の面倒を見に行ったりするときに、数冊の資料をかばんの中に入れて、畑で見かけた三輪車とか、ハンドトラクター、自転車、野菜を載せるかごの中に資料を一つ入れ、時間はかからないし、同郷の人を救い済度も出来ます。つまり、一切の有利な条件を利用して、智慧をもって法を実証しています。資料を作り始めてから心性が高まり正念も強くなり、物事をするときに焦らないようになりました。

 これから、もっと勇猛精進して法を勉強し、法の要求に適った大法弟子になります。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/2/26/121598.html