日本明慧


自分の執着している人心を見つけた

 文/吉林法輪功学習者

 【明慧ネット2006年3月13日】最近までの長い間、私は三つのことを怠けており、煉功も中断し、発正念の時間になっても起きられず、『九評』を伝えることにおいても意余って力足らずの状態に陥っていた。ずっと原因を探し、しかもこれを克服しようと努力したが、あまり効果がなく、このような消極的な消沈した状態からなかなか抜け出せなかった。今日、「正見週刊」と「明慧週刊」の同修の文章を読み、新経文「悪を取り除く」(2006年2月9日発表)を読んだ後、私は突然自分の問題の存在を見つけることができた。

 師父が新経文「悪を取り除く」に「今から、私と神々は人類のこの職業の前途を全部取り上げます。1999年7月20日以降、中共悪党が作り出した全ての下劣なスパイの人生の福を取り上げ、彼らが自ら作った罪悪を償う中で、ごく短い人生を歩み終わらせるようにします。特にアトランタ事件に参与し、画策に関わった全ての人は、彼らの人生の福が全部取り上げられます。今から、彼らは悪業を償う中で死ぬほどの苦しみを味わい、しかも非常に早いうちに相次ぎ死んでいき地獄に落ちます」とおっしゃった。この法を読んだとき、私の頭に「すぐにじゃないでしょうね」という念が出てきて、このように考えてはいけないと分かってもあまり気にしなかった。私は自分がずっと師父の説かれた法を疑わず硬く信じていると確信していたが、同修の文章を読み、その中に現れた師父の法への信は鏡のように私の不足を映し出した。私はどうして師父の法に対して抵触があるのか? 内面を探して驚いた。私はやはり時間への執着があるため、邪悪に隙につけ入られて怠けたり、精進しなかったりする状態に陥った。ひいては師父の法に疑いを生じるようにもなってしまった。

 さらに自分の内面を探すと、自分が1999年7.20以来ずっと法を正すことの終わる時間に執着しており、苦をなめたくない人心や執着で師父の法を理解しており、法を正すのがもうすぐ終わると考え、ひいては衝動的になり、たくさんの失敗をした。自分が想像した終わる時間が過ぎると、また次の終了時間に執着するようになり、これよって自分の精進を促していた。

 毎回失望するにつれ、私もだんだん自分の時間への執着を認識するようになり、「師父の時間への厳しさを見て、終わる時間が近づいていると分かるが、われわれに対して比較的長い時間があるかもしれない。焦ってはならない」といつも自分に注意を与えていた。このようにしてもう一方の極端に走るようになり、つまり前に言った精進しない消沈した状態に陥ってしまった。実はこれがほかでもなく、時間への執着そのものであった。引き続き内面に向かって探すと、この消沈した状態に陥る原因はほかでもなく、自分の為、私の為である私心によるものである。苦をなめたくなく、払いたくなく、早く終わることばかりを考えている。完全に法に則って大法を証明し、衆生を救い済度するためにこの千載一遇のチャンスを大事にしているわけではなく、時間がないからこそ初めてたくさんのことをしたのである。だから終了にはかなり長い時間があると思うと、すぐに自己満足の心が起きてしまって、自分の修煉をおろそかにするようになり、怠惰などの魔性に隙につけ入られた。さらにこれらの邪魔が私の執着により長期にわたって放下していない人心を拡大してしまった。たとえば、金銭や物への執着、家庭への執着、色欲への執着、いつも家族に対して怒り、いらいらして気持ちが乱れ、しかもこの状態が大変長く続いている。幸いに師父が同修の文章を通して私を目覚めさせてくださった。さもなければ、結果は想像するに耐えない。邪悪に隙につけ入られ、引き続き私の魔性を拡大していったであろう。

 この修煉体験を書く過程は内面を探す過程であり、この過程において、怠惰、この魔性に対して私はより深刻に認識するようになり、この魔性があまりにも長く付きまとっていることを黙認していた。幼い頃から家庭の条件が他の人に比べて優れており、この優れた環境の中で苦をなめることを恐れ、怠惰などのよくない慣習を形成してしまった。しかも大法修煉の中にそれを持ってきた。修煉の最初から早起きすることができず、煉功を重視せず、両足を組むことができなかった。時には半月間も煉功せず、しかも執着を抱えながら法を読んだり、自分の放下できない執着に言い訳を探したりした。このとき、新経文「最後になればなるほど精進すべき」(2005年10月8日発表)を読むと、感覚がまったく違う。この経文の一文字一文字が私の問題と執着そのものを指摘している。執着と変えたくない観念を抱えているからこそ、私の法への認識を妨げているのである。

 今回の修煉体験を書くことと内面を探すことを通して、法を正す時間への執着と苦をなめたくないなどの、私と我のための人心に対して一層深く認識するようになり、これらを書いて暴き出せば、一層の殻を取り除いたかのように、苦をなめることを恐れ、怠惰などの心を取り除くのがそれほど難しくなくなり、しかも精進の正念がますます強大になってきた。

 ここに、慈悲なる偉大な師父に感謝! 同修に感謝! 合掌。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/3/13/122734.html