日本明慧


大法の仕事を行うとき、自分が修煉者であることを忘れない

 文/文テイ

 【明慧ネット2006年1月20日】今日私のパソコンが正常に動作できず、ファイルが一つも開かないし、インターネットにも接続ができず、完全に固まりました。パソコンでやらなければならない仕事がいっぱいあるのに、今何もできないと思って、私は汗がでるほど焦りました。しかし、焦れば焦るほど、パソコンがより不調になって、最後に結局電源を切ることすらできなくなったのです。

 このような状態になっているので、私はしかたなく少し冷静になって、正念を発して自分を反省しました。 私は心の中で、「私に強いたいかなる妨害も認めません、私は今最も正しいことをしています、誰かが妨害すればこの人の罪になるのだ!」と暗唱しながら正念を発しました。でも、何かが違うと感じました。なぜなら、このような妨害を受けたのはやはり自分自身に漏れがあったから、邪悪はそれを利用したのではないか、そして、旧勢力からの段取りを否定すると口で言えばその段取りが否定できるものではない、正念で否定しなければならない、正念で正々堂々と行えば、邪悪は自ら破滅すると思いました。法を正す修煉の中で、自分を修めることを忘れではいけない。私は法を正すことをやっているので、もし心が不純であれば、行っている事も純正でなくなるし、妨害されやすくなります。

 したがって、私は自分を反省し続けました。私は、自分には仕事をやるという執着心があると気づきました。最近、正法の仕事がなぜかとても忙しくて、すべてのことが集中してしまったように感じ着実に法を勉強しなくなり、正念を発する時も頭の中に大法の仕事をどうやってやればいいのかといろんな思いが飛びまわり、全然静かになれません。これは、正に常人のように大法の仕事に対応しているのではないか、こんな大きな漏れに、私はまったく認識できなかったのです。

 そして、もう一つの問題に気づきました。それは、トラブルが起きた時点で、自分の発した一念はどのような立場から発したものかということです。これは非常に重要なものだと思います。その一念は、自分の思いは正しいものかどうか、修煉者の心の状態であるかどうか、そして自分は一人の大法弟子であるかどうかを現すことができます。

 パソコンが止まってしまった時、私が真っ先に思ったのは正念を発して、自分にはどのような執着があるかと心の内に向かって問題点を探すのではなくて、逆に頭の中に、ああ、パソコンがウイルスに感染したか、あるいはシステムにエラーがあったのではないかという念がすぐに浮かんだのです。しかも、誰々が送ってきたファイルが怪しいとまで考えてしまい、それを考えれば考えるほど本当のことだと思うようになってしまいました。そして、もう一回システムをインストールしようかとか、或いはアンチウイルスのソフトをインストールしようか、さらに明日誰かに見てもらおうという常人のやり方や方法でこの問題を解決しようとしました。だから、師父が常に私たちの身の回りで私たちを守っていて、われわれ大法弟子の正念には威力があることを少しも思い出さなかったのです。厳格に言えば、その瞬間、私は自分を大法弟子として見なすことがまったくできず、正念がないため、したがって、大法の威力とその超人的な一面も現れることができないのです。

 そのとき、私は前日ある一人の同修が私に言った「心が正しくないとはどういうことでしょう?それはいつも煉功者としての自覚が欠けていることです」(『転法輪』・心を必ず正しく持つべし)という師父の法を思い出しました。今回は、パソコンが故障してしまったように見えるが、実に根本的な問題は、私が常に自分が修煉者であることを念に入れることができなかったし、自分がいったい何をしているのかまったく認識していないというところにあります。法を正すことをしなければならないのはわかっているし、衆生を済度することも常に言っているが、果たして自分の心性が一分一秒も純正な状態になれたでしょうか、あらゆる物事に対して自分の一念一念は法理に従っていたのでしょうか?

 これらのことを認識できてから、パソコンの一部の性能が正常に動き始めました。私は一つのファイルを開くことができました。これは、今日、翻訳を完成させるとこの前同修に約束した文章です。メールボックスはまだ完全に作動できないが、翻訳された文章を同修に送ることはできたのです。

 夜はグループで法を勉強する時間なので、私はもう一回パソコンの電源スイッチを入れて、インターネットエクスプローラーを起動してみると、今回はネット接続のスピードはまだかなり遅いけれど、ネット上で法を勉強し交流するためのTSにはいれました。また、すべてのファイルを開いたり、閉じたりすることもまだだめでしたが、前の日に英語の『転法輪』を保存したファイルは開いていました。これはちょうど夜法を勉強するとき使うのです。やはり最近法を勉強することを怠けてきたので、とりあえず手元にある大法の仕事を置いておき、心を静めてよく法を勉強したほうがいいのではないか、と悟りました。

 しかし、悟ることができたが、まだ完全に実践できませんでした。法を勉強しながら、心の中で「今日はまた一日の時間を無駄にしてしまった、何もできなかった、他の人が法を読んでいる間に、大法の仕事をちょっとやろうか」と考え始めました。他の人がわからないからと思いながら、ある一つのファイルを開こうとしました。

 これは、ファイルを開けられない上、勉強会に使う文章も自動的な閉じてしまったという大変なことになりました。しかも、この文章はどうしても再び開くことができません。しかたなく、私はネット上の勉強会に参加している一人の同修にメールを送って、順番で私が読むところの文章をメールで送ってくれと頼みました。しかし、同修はまったくわかってくれませんでした。すぐ、ネット上のTSとの接続が切れてしまい、私はシステムから追い出されました。

 このような状態になってきて、私はやっと冷静になってきて、自分の問題は本当に深刻だと認識しました。法の勉強は足りないし、法を勉強しても心の中に入らないのです。仕事をすることを第一位において、法を勉強するのをできれば後回しにしました。これは本当によく反省しなければならない。師父は私たちに絶えず法を勉強しなさい、法を勉強しなさいとおっしゃいました。私は本当に自分を大法弟子として見なしているのだろうか。派手に転んで、頭に大きな大きなこぶができないと、まったく認識しようともしませんね。

 これを認識できたときは、ちょうど全世界正念を発する時間となったのです。私は心を静めて、集中して正念を発することに専念しました。私は心の中で再び邪悪に対して「私は師父の正法時期の大法弟子です、あなたたちが段取りしたすべてのことを認めません。私は師父に段取りしていただいた道を歩みます。常に自分を修めて、真ん中にある最も正しい道を歩むのです。私は自分を修めて、師父と大法を堅く信じることで、あなたたちの段取りを拒否します。大法を実証し、世の人々を済度し、大法弟子としての一つ一つのことをよく行っていきます!」と話しました。

 私は正念を発し終わってパソコンをつけてみたら、すべては正常に戻りました

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/20/119065.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/3/4/70493.html