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内モンゴル:迫害により張錦さんは死亡、息子と嫁は労働教養所に

 【明慧ネット2006年3月21日】 内モンゴルの法輪功学習者・張錦さん(70歳男性)は、1998年に法を得てからこれまで堅く修煉を堅持してきた。99年の7・20以降、公安610は不法に家宅捜査をし、常に皮肉を言い、そして家に踏み込んで来て暴力を働いてきた。2006年3月13日、張錦さんはついにこの世を去った。彼の息子とその妻は未だに労働教養所で不法な迫害に遭っている。

 息子の張俊卿さんとその妻の段松萍さん(江蘇省昆山市出身)は法輪功の修煉をしているという理由で、2000年から悪質な迫害に遭っている。昆山市での仕事などの生活条件を奪われ住む場所を失った為、両親のもとで一緒に暮らしていた。

 2004年11月、段松萍さんは、錫盟で仕事を探していた際、同級生に真相説明をした為、錫盟民族職業学院に告発されて、錫林浩特市の公安局に不法に逮捕された。彼女は10日余りの絶食を行うことで不法な迫害に抗議した。江蘇省昆山市の公安局政保科の沈平、熊紀は内モンゴル宝昌県の610の頭目と共に錫林浩特市の公安局へ行き迫害に加担し、彼女に不法に3年の労働教養を言い渡し、更に内モンゴル女子労教所に押し込んで彼女を迫害した。

 2004年12月末、張錦さん夫婦と息子の張俊卿さん、そして法輪功学習者・趙素琴さんが内モンゴルに段松萍さんの見舞いに行った時、内モンゴル女子労教所の公安は彼らを謁見室で待たせると、間もなく10人ぐらいの私服警官を連れてやって来て、彼らを押し倒して手錠をかけ、氷点下30数度の寒空の中で彼らの服を脱がし3、4回検査を行った後、不法に手錠をかけて監禁した。彼らは不法役人に殴られ、1月3日に錫林郭勒盟公安局の国保分隊に錫林浩特市の留置場に連れて行かれ、そこで深刻な迫害を受けた。そして2005年1月13日、張俊卿さんは不法に3年の懲役を言い渡され、五原県強制労教所に監禁された。

 その時、張錦さんは交通事故で寛骨が粉砕骨折し、家では2歳の孫娘の面倒を見ていたが、妻、息子、そして息子の嫁は不法に連行されて迫害に遭っており、彼はまだ歩けない状態だった。2歳の孫娘は1日中泣きながらお母さんを探していた。このような状況の中、太旗公安の馮国良、曹義、警官は彼の家に行き、恐喝、脅迫をして彼に署名や拇印を強い、また錫林郭勒盟公安に行って審査を受けるように脅した。凶悪な警官からの監視、追跡、そして家の電話の盗聴をされていた為、自由は制限されて、張錦さんの心身は深刻に傷つけられた。

 2006年3月8日、「国際3・8婦人デー」の時、幼い孫娘は高熱で咳をし、泣きながらお母さんを捜していた。張錦さんはとても辛く、今の中国に女性や子供、そして私達に自由や人権はあるのか、可哀相な子供をお父さんやお母さんに会わせることができるのかと心身ともに悲しみで心が痛んだ。張錦さんは気が滅入ってしまい、話も出来なくなり、2006年3月13日、冤罪が晴れぬままこの世を去った。

 張錦さんが亡くなった後、家族は彼の息子と嫁が張錦さんの葬式に会葬することを求めたが、五原労教所は息子を帰らせないだけでなく、行きたいのなら人を政府に派遣し身分証明を持ってくる様に理不尽なことを要求した。内モンゴルの女子労教所も同じように嫁を帰らせず、わざと家族に死亡証明を持ってくるように言って困らせ、「もう一回検討する」と、5日間の間わざとこのように時間を延ばし、両親の最後を見届けたいという気持ちさえも踏みにじった。このような公安に人間性があるのだろうか。

 数年来、法輪功学習者のたゆまぬ真相説明を通じて、多く人が真相を知るようになった。しかし、内モンゴル錫林郭勒盟の2カ所の公安は依然として法律を無視し、憲法を踏み躙り、人々を傷つけ、非人間的な悪事をし尽くしている。

 どの家庭に息子や娘、そして両親がいない家庭があるだろうか。天網恢恢疎にしてもらさず、善悪には必ずその報いがある。私たちは不法に迫害に遭い、監禁されている法輪功学習者の解放を強く願う。中国共産党が崩壊する時間はもう長くない。迫害に加担した者は自分達の前途の運命の為、そして家族や子供の為にもよく考えて欲しい。

包頭市の五原労働教養所、
郵便番号:015112
電話番号:0478−55582415
五原県労教所の一号郵便箱一大隊
フフホト女子労働教養所、
電話番号:0471-33922681

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/3/21/123335.html