日本明慧


天国楽団と交響楽団に参加した体験談・大法を証明することおよび協調すること

 文/Genevieve Long

 【明慧ネット2006年3月29日】尊敬する師父、こんにちは!同修たち、こんにちは!私は今日ここでみなさんと一緒に私の体験を交流できて非常にうれしいです。

 私はGenevieve Longです、ニューヨークからきました。以前私はワシントンにいました。15カ月前に、マンハッタンプロジェクトが最高潮のとき新聞の手伝いにニューヨークにきました。同時に私はマンハッタンマディソン大通りの移民弁護士事務所で、毎週月曜日から金曜日まで仕事をして、業務は忙しかったのです。3カ月前に、私は打楽器奏者として天国楽団に入りました、その後私はさわったこともないのにアルトサックスを奏でることになりました。交響楽団に参加してから、8〜15歳のとき触ったビオラをもう一度取り出しました。

 ここで、一人の大法弟子としてこれらの活動に参加した体験談を交流したいと思います。

 * 音楽、真相説明と常人の仕事のバランスをとる

 楽団に参加する前後、私の個人修煉と日常生活に大きな変化が生じました。私の仕事の日程と職務の変動が激しく、私の恋愛はまったく兆候なく終了しました。短い時間の中で私は7カ月生活したアパートを離れるように通知されました。

 大きな波に打たれるように、私はほかの空間で大きな変化が生じていることを感じました。このとき、法を学ぶことが難しくなりました。私の頭はこれら悪い知らせのことでいっぱいでした。私は失望の中で悲しみ、過去に感慨し、なぜニューヨークにきたのかという基点を忘れました。

 しかし、楽団の一員になったことは私に非常に強大かつ安定した影響を及ぼしました。楽団に参加したこの3カ月間、私は彷徨いの状態から今までにない強い信念を持つようになりました。私は外に要素を求めることで自分を進歩させようとする根本な執着を意識できました。楽団のメンバーは家でも練習する責任があるように、個人修煉は修煉者各々の責任だと悟りました。

 さらに、不健康な生活様式が私の日常生活と社会活動の中に浸透していることを気づきました。夜遅いのと楽器の練習をすることができないため、私は夜9時前に家に帰るようになり、昔のような11時あるいは深夜の帰宅ではなくなりました。また、私は昔のように外でピザやバジルを買うのではなく、家で食事を作り始めました。楽団に参加してから、新聞に使う時間が少なくなったので、仕事中頻繁に新聞社のメールをチェックして、携帯で新聞事務所の業務の電話を受けました。だれか私のパソコンの隣にきたとき、私はいつも恥ずかしく顔が赤くなり、手を止めて仕事に戻ろうとしました。とうとうある日、ボスが通告なしに私のパソコンの隣にきたとき、私は思わずモニターを手で覆いました。一人の修煉者として、どんなに忙しくても、仕事中に内職をやってはいけないと意識しました。忙しいことを口実に常人社会の理に反することをやってはいけない、まして大法の基準でみた場合、なおさらそうです。自分をコントロールすることは私にとってはまだまだ挑戦です。自我控制仍是一个挑战,しかし、法に照らしさえすれば、どんなに忙しくても、すべてが自然になると私はわかっています。

 * 個人修煉と団体の環境

 楽団に参加することで私は団体修煉環境に対する理解が大きく変わりました。楽団のほかの学習者の中にいて、私が最初に直面する問題は大量の思想業と嫉妬心でした。もし団体修煉環境がなければ、それらの欠点を見つけるには、どんなに長い時間がかかったのだろうかと思いました。ある日、話をしたことのない同修を見て、「この人は自分が一番と思っていて、自分がだれよりもすばらしいと思っている!」と私は思いました。まもなく、この同修が私にアルトサックスを教えることになりました。彼は私がいままで会った中でもっとも忍耐つよく、もっとも温厚な一人でした。彼は私と楽団のほかの人を助けて、サポートしました。私たちは慈悲心をもって人をみるべきではないでしょうか?偏見を捨てて人を判断すべきではないのではないでしょうか?

 困難のとき、修煉者は法の指導の下で堅忍の精神の作用を多く学びました。最初、楽団の演奏はそれほどよくなかったのです。練習室は混乱して、いたるところで雑音がでました。騒音が大きくて叫ばなければなりませんでした。多くの学習者が楽譜を読めず、楽器に触れたことがまったくありませんでした。これらの学習者は演奏できないとき、まず座って正念を発します。これほどなれない楽器を練習する挫折感は一部の人を放棄させるほどのものでした、しかし、忍の法則に沿って、私たちは最後には正しい調べを奏でることができ、また楽譜も読めるようになりました。その後、リーダの指導がないにもかかわらず、異なる楽器の人が自然に一緒に練習できるようになりました。全体的にいうと、楽団の成長はいかなる個人のことではなくて、我々は人を助けるか、助けられるかのどちらかだということです。

 個人が精進しなければ、団体の環境も進歩しません、音楽を例にすると、我々は演奏の中で、心性の変化を感じ取れ、各自が家で練習するまじめさを感じ取れます。練習しなければ、向上できません。これは法を証明することと同じく、絶えず法を学び、煉功し、正念を発し、真相を説明して、大法弟子として全体としてなにかするとき協調できるのです。

 我々多くの同修は状態がよくないとき活動や法を学ぶチームに参加する経験があります、我々はこれら活動に大した貢献はできません、これが我々をもっとも失望させています。楽団として、修煉がしっかりせず、練習もよくできなければ、間違えた一個の音符も非常に目立ちます。これでみんな努力してなるべく補って全体に追いつきます。楽団にいる以上、形だけではなく、演奏しなければならないからです。

 覚えるべきことは、ほかの同修が困ったとき、我々は正念をもってサポートすべきです。楽団でリハーサルをしたとき、ある楽器がある部分で困難にぶつかりました、最初、指揮者は全体をとめて、その楽器を単独演奏させるとき、ほかの同修たちは笑いました。彼らをからかうこと自体は大した問題ではないと思いました、しかし、時間がたつにつれ、もし楽団の一部がよくできなかったら、全楽団の演奏効果に影響を及ぼすことを認識しました。我々が協調しなければ、我々の法を証明する楽曲も調和がとれません。

 これは我々が参加したほかの活動や大法の仕事とどんなに似ているでしょうか!

 * 天国楽団の公演は全員の努力

 天国楽団は5回の演出を行いました。ニューヨークのチャイナタウンの新年パレードで二回、ロスのチャイナタウンで一回、ワシントンのチャイナタウンで一回、さらにマンハッタンのパレードにも参加しました。公演のとき、我々は隊列になって、町にでて自分勝手に振舞うことができません。混乱する隊列、整然としない進行がどうやって衆生を済度できるでしょうか?

 外で楽団が最初に隊列で練習するとき、これがまさに災難でした!音楽が始まって、我々も進行しはじめました、しかし一緒ではありませんでした。多くの人は自分の状況や曲、歩行、隊列の整然さに気を使いました。楽団全体の状況を理解することは非常に難しかったのです。演奏はよくありませんでしたし、隊列もゆがみました。指揮者が我々を止めたとき、150人の楽団が乱れ、みんな互いに過ちを指摘しました、しかし容認とこのことをよくやるという心の導きで、徐々に順調になりました。

 チャイナタウンの最初のパレードはまさに人の波でした、あたかもすべての中国人がここに集まったようでした。我々は中国語と英語で書かれた「法輪大法」のジャケットを着て、ある「法輪大法」の巨大なバナーが指揮と隊列の前にいました。二回目マンハッタンのチャイナタウンのときも多くの旅行客がいました。楽団の最後の数列は一部のところで旅行客に乱れされました。我々は水たまりのある道を歩き、爆竹が大きな音を出して、大量の紙くずが我々に落ちました、平坦でない路面や高い道沿いが隊列のまがりに困難をきたしました。

 それ以降、楽団指揮者は以降どんな条件の下でも演奏することになれる必要があるといいました。

 法を正すなかで、我々は予想できなかった障害や挑戦にあいました。我々が外に出て真相を説明するときもよく魔難に出会い、なにかが我々の注意をそらそうとしているのを感じました。しかし、我々が正念正行の気持ちでいれば、我々が演奏したい曲を演奏し、歴史の舞台の前にいる衆生に大法のすばらしさを披露し、どんなものも我々を阻むことができません!挑戦はいつもあります、しかし肝心なのは我々の絶えまない努力が、いかなる障害にも阻まれないことです。

 ロスの3回目のパレードから私は楽団公演の影響はもっと大きな大法弟子の全体によるものだと感じました。これは我々が初めて交流会期間中で演出し、パレード前、いろんな地区からきた学習者が我々を囲んで、目を大きくして、笑顔がいっぱいでした。私は彼らの純粋な喜びを感じました、これで彼らをもっと精進させることができます。パレードが始まって、楽団周辺に同修が観客にビラを配ったり、バナーを掲げたり、功法の実演をしたりしました。全体のパレードが多くの人を引き付け、彼らは喜んで真相資料をもらいました。

 パレードの終点で、ある通行者が大きな声で、中国語で「法輪大法がすばらしい!」と叫んでいるのが聞こえました。そのとき、私は涙が流れました、これは大法弟子の努力であり、我々がここにきた目的であり、衆生を済度すること、彼らに正念をもたせることなのです。自分の演奏をよくし、美しい音楽を演奏したとき、その影響は非常に大きいのです。これが一人の中国人の心を善に向かわせ、昼間に町の中央で大きな声で「法輪大法がすばらしい!」と言ってもらえます。

 楽団の演奏の経験から私はわかりました。大法弟子は全体として、人それぞれの分担は違いますが、しかしみんなが大切です。我々が楽団にいて自慢し、ほかの学習者より上だと考えてはいけません。

 最近のワシントンのパレードのとき、我々の正念正行が同修に大きな影響を及ぼすことを認識しました。ワシントンの天気は暑く、パレードの途中、一部楽団の学習者が疲労を感じました。このとき、道端にたっているおばあさんたちが手に「法輪大法がすばらしい」と中国語と英語で書いているバナーをもっているのが見えました。彼女たちはあそこに立って、我々が見えるようにバナーを高く掲げています。彼女たちはパレードの隊列に法輪功の隊列が現れるのを楽しみにしています。家に戻り新しい宇宙を祝うようでした。私の目線があるおばあさんの顔に止まり、彼女は私に微笑み、我々に強大な正念を注意するようでした、パレードの後半私は疲れを感じることがありませんでした。

 楽団と交響楽団は特殊で、これは法輪大法が非常に特殊だからと思います。我々は楽団という修煉環境を大切にし、この中から個人修煉の大切さを理解し、全体との協調を整えます。

 練習場所を探すこと以外、時間をあけて練習することもずっと問題でした。実際、過去の数カ月間、私は忙しいリハーサル日程をこなさなければなりませんでした、これで自分が以前個人修煉をするとき、発正念や煉功、学法など含めての問題を発見できました。新しい寝る時間と起きの時間が私の日常生活をもっと安定さして、私は法にもっと近づきました。自分の時間に限りがあること、および、いかに有効に利用するかを認識させられました。

 大量の仕事で疲れきったとき、私は再び大法のすばらしさを発見できました、私が毎回煉功するとき、自分の精力が満ちてきたことを感じました。私の思想状態がよくないとき、私はもっと法を学ぶ原因を理解でき、我々が法に溶けるべきだと理解できました。

 法を正す時期の大法弟子の行ったほかのことと同じく楽団は特殊な存在です。我々がひとつの全体として衆生を済度するためもっと努力し、もっとよくやるようにがんばりましょう!我々が三つのことの神聖なる使命を実行するとき、我々は心の中で「法輪大法がすばらしい、法輪大法がすばらしい、法輪大法が正しい法、仏光がまんべんなく照らす」を歌いましょう。

 (2006年ニューヨーク法輪大法修煉体験交流会発言原稿)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/3/29/123930.html