日本明慧


「慈悲」についての体得

 文/台湾法輪功学習者

【明慧ネット2006年4月1日】最近気づいたことですが、同修、常人、家族と付き合う時、トラブルや隔たりを生じるのは、まだ捨てていない人心があるからです。「情」で周りの物事に接し、好きか嫌いか、嬉しいか嬉しくないかと思うことも、すべて情によるものです。自分の観念や考えに符合したら、このことは正しいと思うが、納得できないなら、このことは間違っていると言い張ります。人と人の間の是非、恩と仇は、このように生じるのではないでしょうか。自分のことに執着しすぎると、対峙してしまいます。

 私の理解では、「慈悲」とは、自分の考えに固執する執着がないことです。同修、家族および周りの常人と付き合う時、誰でも自分の物事に対する見方、観念と個性を持っています。頑固な人もいれば、気性が激しい人もいます。道理を説いても受け入れない人もいれば、善良な人もいます。そのほか、誰でも生まれつきの気質や特性などがあります。

 個人の情を持ち他人をあるタイプに決めつけずに付き合うと、この人との隔たりもなくなります。邪悪が私たちの間に隔たりを作るのは、私たちの心性に漏れがあり、執着があるからです。この隔たりをなくすには、自ら自分の持っている偏見や執着を取り除くほかありません。本当に個人の観念を持たずに、いたるところに他人を思いやり、他人のためを考え、寛容な心をもてば、隔たりがなくなった後の和やかさを味わうことができます。

 『洪吟(二)・法正乾坤』に「慈悲は天地の春を溶かし 正念は世人を救う」という言葉があります。最近、この詩を暗記すればするほど、新しい悟りがどんどん湧いてきて、それを表す言葉がありません。もし常人の言葉で「慈悲」を言えば、大きな寛容であり、異なる気質、特性のある万事万物を包容し、同修の異なる次元の認識を包容することです。その洪大な慈悲は、私心のない大きな愛であり、本当に他人の立場に身を置いて考えてあげることです。

 個人の次元での心得で、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/4/1/124143.html