日本明慧


「クラス随従」学習者が師父の恩恵を思い出す

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2006年3月30日】師父がある年中国大陸で大法を伝えるため、苦労して長城内外と大河の南北をあまねく廻られました。大法のすばらしい神秘的な現われは磁石のように数千数万の縁のある人を引き込み、四方八方からやってきて師父の講義を受講しました。師父はいたるところで学習会を開かれましたが、地元の学習者以外に師父の「クラス随従」学習者がいて、師父がどこかに行けばそこについていきました。いつも学習会が終わると、学習者は皆名残惜しげで、師父と離れたくなく、師父の身の回りに少しでも長く居たいと思い、その瞬間はどれだけ貴重だったでしょうか!

 私は幸いにこの「クラス随従」大軍の中の一員でした。 

 広州、済南では列車から下りたら、「法輪功」の看板を掛けた車隊が迎えに来ていました。これは皆師父が気を遣って手配されたのでした。広州体育館の外の広場では、師父の講義開催期間中「法輪功」の看板を掛けている数十台の大型バスが、受講に来る学習者を送迎しました。道中は威風堂々としており、通行人は皆足を止めて見ていました。あっ!法輪功はこんなに多い!

 延吉での学習会の1日目、数千人の会場は空席がありませんでしたが、私の隣には空席が数席あって、これは誰かと思っていました。師父はすでに講義を始められているのに、まだ来ない?考えている内に、中年の男子が苦労して2人の男の子、ひとりは8、9歳、もう一人は11、12歳、をつれて来て空席に腰をかけるのが見えました。列車から降りたばかりだとのことでした。私は聞きました。「どこから来たの?」 彼は「甘粛から来ました」と答えました。私は思わずあーと声を出しました。そんなに遠くから!この時師父の話(要点)が聞こえてきました。この法の伝わり方はたいへん大きい、とても遠くからもやってきました。

 師父は何でもご存知だ!この時あの子供二人が両足で座禅を組んで、腰をまっすぐに伸ばして、真剣に師父の説法を聞くのが見えました。私はこう思いました。師父だけが、こんなに大きい神聖な宇宙の大法だけが、このように多くの縁のある人たち引き込んで万里の遠くから法を聞きに来させることができます。それから聞くところによると新疆地区からも大勢の縁のある者が広州に法を聞きに来て、幾重もの困難を克服した話を聞きました。本当に万里の遠い道です!

 一回また一回と学習会で、地元と他所の学習者に関わらず、学習会が終わるまで首尾よく講義を聞き終わることができるには、師父がどれだけの苦労と心血を注がれているのかを知っている人は何人いるでしょうか!

 その時私はある安徽から来た学習者の話を聞きました。彼女は夫に内緒で、夫の二人の妹を連れて長春の法輪功学習会に参加しに来ましたが、迎えの待ち合わせ時間を逃したため、彼女たちは公用バスで講演を開く場所、吉林大学の講堂の外まで来ましたが入口を探していました。この時一人の老人がにこにこ笑いながら彼女たちに聞きました。「法輪功の学習会に参加しにきたのですか?」 彼女ははいと言いました。老人は彼女たちを連れて歩きながら、にこにこ笑いながらこう言いました。「安徽のような遠くから探して来て、それも夫に内緒で、入口まで来たのに、なぜドアを探し出せなかった?」 この学習者はぎょっとして、心の中で「彼はどうして私の事を知っている?」と思いました。彼女は師父の講義を聞き終わってやっと悟りました。もともとあの道案内をした老人は師父の法身で、師父の法身が彼女たちを迎えに来たのだと、心の中でひとしきり感動しました。

 もう一人の学習者は、安徽の農村から来た若者で、背が1.80メートルの高さで、とても格好良く、彼は私に、半年前まで彼は身体障害者で、腰が90°程曲がってアーチ型になっていました。師父が安徽で第一回目の講法をされたとき、現地の気功協会が彼を師父に紹介しました。師父が彼の背中を数回たたいたら、彼の腰はまっすぐに直り、彼の師父に対する感謝の気持ちは言葉で表現できませんし、師父がどこかに行けば彼もそこへついていきます。後からの学習会で師父は彼の経済が困窮していることを知られて、彼の授業料を免除されました。

 授業料の話になると、当時法輪功学習会の授業料は全国の気功各門派の料金の中で一番低く、それに「クラス随従」の古い学習者は半額しか収めていません。法輪功の料金が低かったため、その他の門派の不満を引き起こし、師父が料金基準を上げるよう気功協会に意見を提出しましたが、師父はずっと変えられませんでした。

 もう一人の長春の学習者は一家四人、中に80数歳で行動の不自由な母を連れて鄭州の学習会に参加しました。待ち合わせ時間を逃したので、彼女は母と家族を連れて街頭で、旅館を探しました。歩いて、歩いて、ある2階建ての民家が見えました。彼女は「もしこの建物が旅館だったらいいな」と思いました。この時、2階の窓が開かれて、おばあさんが彼女に向かって親切に話しました。泊まるところを探しているでしょう?私のところに泊まりなさい!彼女はその時師父が学習者を愛護して、年を取った母親が歩けないと心配して、助けてくださったと悟りました。

 その時の鄭州学習会で、地元の邪悪が師父の講義を邪魔しました。ある日の午後、師父が講義しているとき、突然激しい風と雨に目玉の大きさの雹(中には卵の大きさもあった)が、天地を覆い隠して来ました。晴れた青空が急に暗くなりました。天目が開いた学習者がこのような情況の場合、師父が1番目にされる事は学習者を保護することだと言いました。やはり一つの大きな法輪が一瞬にすべての学習者を中に覆って、それから師父は邪悪を取り除き始められました……

 しばらくして天気は再び晴れ、師父は講義を続けられました。このことで私は師父が弟子を保護されるのを自ら目撃しました。
写真を撮るのは、学習会に参加した学習者の願いでした。師父はどんなに忙しくでもどんなに苦労であっても、いままで学習者の要求を拒絶しないで、時間をつくって写真を撮ってくださいました。

 しかし写真を撮るのは簡単なことではありません。数千人の学習者が皆師父と写真を撮りたがっていて、誰も放棄しませんでした。夏の鄭州は、灼熱の太陽が照りつけました。大会の決まりでは、各省地区の学習者が集団で師父と一回撮るのですが、それでも全国にあれだけの省がありますから!本当に師父はとても苦労されました。しかし学習者達はまだ断念せず、各省地区が撮り終わったら、また勝手に市地区の学習者達が師父写真を撮りました。こうして、師父はあちこちに呼ばれました。

 灼熱の太陽があって、ひどい暑さが人を襲っても、師父はずっと静かで、いつもゆったりとして、慈悲深く、満面に笑みをたたえて歩き、いったりきたりしてみんなと一緒に写真を撮ってくださいました。

 今これらを思い出して、本当に恥ずかしくて、穴があったら入りたいです。あの時の私はどれほど利己的だったことか。みなが尊敬する師父に接して、どうして師父のために考えなかったのか、師父に一回でも苦労を減らし、一回でも心配を減らし、写真を一回撮ればよかったのです。どうして師父のために考えなかったのか。何日も法を説かれて、午前中ずっと話をして、午後また皆とあんなに長い時間写真を撮り、灼熱の太陽はぎらぎらと照りつけていました!

 師父の慈悲の保護のもとで、私達は今日まで来ることができ、大多数の学習者は皆成熟しました。しかし私はまだ多くの執着を取り除いていません。すべてこの「私」と関係があり、すべてこの「私」から派生してきたので、深く埋蔵された「私」を全部取り除ければ、師父の要求される無私無我な基準に達成することができます。

 今日師父がこの年大陸で法を伝えられたときのありとあらゆる辛苦と私達が表面上で感じられる師父の弟子に対する保護、大切さを思い出して、あれは本当に大海の中の一粒の粟でした!実際に師父が私達のために払われた、私達のために実際耐えられた大きな難を私達は永遠に知ることができませんが、永遠に忘れることはできません。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/3/30/123989.html