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陳杏桃さんの家族は、正義を求める(写真)

  【明慧ネット2006年4月4日】(明慧記者李静フェイより報道)女性法輪功学習者・陳杏桃さん(39)が2002年5月、湖南白馬リュウ労働教養所で迫害を受け尽くして亡くなった。その後4年間、陳さんの夫・李躍進さんはあちこち駆け回ってきた。「必ず妻のために、正義を求める。労働教養所の法律執行者として法を犯す警官や、関連指導者に対し、法律に基づいて彼らの刑事責任を追及する。決して放棄しない。法輪功は間違ってない!良い人になることは間違っていない!」と李さんは主張する。

 

            迫害を受ける前の陳杏桃さん 杖をつき、郷里で世の人々に迫害の真相を伝える陳杏桃さん

電撃棒による電気ショックでできた全身の水泡は黒く変わり、2カ月後に残った傷あと     尾胝骨には腐乱により大きい穴ができた

 * 陳杏桃さんは冤罪が晴れぬままこの世を去った
 
 陳杏桃さんは白馬リュウ労働教養所から自宅に戻ってきた後、6月15日に傷口の尾胝骨が腐乱し始め、傷口は拳の大きさとなり、尾骨が2つ抜け落ち、大小便が赤くなり、座ることも横になることもできなかった。

 李躍進さんは郷政治法律書記・陳季紅に陳杏桃さんの情況を確認し、上級政府に状況を報告するよう要求したが、誰も訪問にこなかった。

 仕方なく、李躍進さんは省高級人民裁判所へ行った。裁判所は「刑事責任が無い場合は公安庁に行くべき」と教えてくれた。公安庁はまた省労働教育局に行くように言い、省労働教育局はまた白馬リュウ労働教養所に行くようにと言い、結局誰も陳杏桃さんの件を受け入れ、解決してくれなかった。

 李躍進さんは陳杏桃さんを連れて、岳陽二病院に検査に行くしかなかった。しかし、病院は陳杏桃さんが法輪功修煉者であると言う理由で検査を拒否した。

 2002年4月29日、陳杏桃さんの病状が悪化し、全身が化膿した。このような情況でずっと治療ができなかったため、2002年5月27日の朝、陳杏桃さんはこの世を去った。

 陳杏桃さんの家族は郷政府に対し、陳さんの葬式に関して少し助けを求めたが、郷政府からは少しの慰めもなく、人民代表大会の蘭天キはまた暴力をふるい、人を殴った。
 
 * 家族3人が迫害により死亡

 李躍進さんは「1999年7月以来、私の両親と妻は相次ぎ迫害により死亡した。政府は3日ないし5日に一回人を捕らえにきた。私の母は、脅しや恐喝に我慢できず、1999年8月10日にこの世を去った。妻の陳杏桃が迫害されて死亡した後、私の父は家族が迫害されて悲惨な情況をみて憤慨し、悲しみの余り2002年12月23日にこの世を去った」と語った。

 李躍進さんは「我が故郷には幾百幾千の法輪功学習者がいる。彼らは誰一人国に危害を与えたり、社会に危害を与えたりしたことがない。政府機構が人民に対して様々な災難をもたらし、一家を分散させ、肉親を失わせ、その被害者は数え切れない、これはなぜか?」と訴えている。

 * 李躍進さんは妻のために正義を求めることを決心した

 李躍進さんと陳杏桃さんには4人の娘がいる。そのうちの2人はまだ学校に通っている。李躍進さんの妻と両親が亡くなってから、一家の生活の負担はすべて李躍進さん一人にかかってきた。

 李躍進さんは「妻が迫害されて亡くなってから、私は彼女のために正義を求めることを放棄することを一度も考えたことがない。私の妻は罪を犯していない!」と語った。

 邪悪な輩が李躍進さんに「あなたがもしこれらのすべてが法輪功のせいだと言うならば、われわれはすべての費用を負担する」といったとき、李躍進さんは「法輪功は間違ってない!良い人になるのは間違ってない!」と答えた。

 2004年7月12日、李躍進さんは白馬リュウ労働教養所を提訴した。法律執行者として法を犯し、人権を侵害する労働教養所の警官、及び関連指導者らを法に基づいて裁き、刑事責任を課し、故意に傷害により傷つけられ、死亡させるまでかかったすべての費用と、子供の扶養費用を弁償することを要求した。

 李躍進さんは次のように語っている。「各級政府指導者、各界人士、善良な人々よ、株洲市白馬リュウ労働教養所の指導者と地方政府の指導者の愛の心はどこにあるのでしょうか?人権はどこにあるのでしょうか?人道はどこにあるのでしょうか? 各級政府指導者の正義はどこにあるのでしょうか?私は正義を求めます」。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/4/4/124439.html