日本明慧


中領事館査証所前での真相説明

 文/バンクーバーの大法弟子

【明慧ネット2006年3月31】

 尊敬する師父、こんにちは。

 同修の皆さん、こんにちは。 

 私はバンクーバーの大法弟子です。数年間の修煉の過程を振り返ってみると、雄大ですさまじい勢いは特に無いものの、一段一段熱心に今日まで修煉を続けてきました。そこから体得したものはあまりにもたくさんあり、幾日幾夜かけて話しても話しきれません。今日、私が主に言いたいのはニューヨーク中国領事館前とバンクーバー中国領事館のビザ取扱所の前で発正念をしながら真相を伝えたことについてです。

 2004年7月、私は同修と一緒にマンハッタンに行って、酷暑や厳寒に耐えながら真相説明を行いました。その強い正念の場により、人々の冷たい顔は解けて、善良な心が蘇り感動し、真相を知った人々は反迫害に対する署名をして声援しました。それらのことを見て私は、ニューヨークでの真相説明には大法弟子が必要であると思って、ニューヨークに残って一年間真相説明を行いました。

 最初、反迫害の拷問刑の実演場で資料を配ったり煉功したりしましたが、英語を知らないので、道を歩く人から尋ねられても、彼らに真相説明が出来ず、心からもどかしかったです。ある日、私が残虐な拷問刑の実演場で煉功していた時、天目で私と多くの同修が黄色の服を身に着け、とても長い船の両側に座り両手で力いっぱい漕いでいる様子が見え、その中で自分が力尽きて苦しんでいる光景が見えました。これは「師父が私に精進しないと、正法の過程に追いつけないことを悟らせている」と心の中でずっと思っていました。

 その後私は、中国領事館は邪悪が集まっている場所なので、その前で発正念をすることが適切だと悟りました。便宜上、世界各地から来た発正念グループの同修と一緒に住んでいました。私達は毎日地下鉄からバスを乗り継いで、一時間以上かけて、8時前には中国領事館に着き、12時まで発正念をしました。その後は軽く軽食をとって地下鉄駅の出入り口付近で真相資料を配り、夜は一緒に法の勉強や交流をしました。ある日の朝、バスが遅れたので、私と別の同修は時間に間に合うように急いでタクシーに乗りましたが、二人とも英語が話せなかったので、只“Chinese”と言った後、指で支持しました。運転手は分かったようで、まっすぐ走り、順調に8時前に到着し発正念をすることが出来ました。 

 私達の大半は年配の同修でした。毎日、中国領事館の前で横断幕を開いて発正念をし、煉功をしていました。中国領事館前は風が強く、風向きは常に変わるので、少しでも油断すると横断幕が倒れやすいのです。日差しが強く暑い夏は、まるで蒸籠の中に座っているようで、寒い冬は、雨の中の氷の粒が荒れ狂う風と一緒に顔に当たり顔が痛くなりました。しかし、私達は依然としてその場で真相を伝え続けて、時には雨の中で座っていることもありました。このような極めて悪い天候の中でも、私達は頑張り続けていましたし、一人ひとりが元気いっぱいでした。私は師父がいつも私たちの傍で私達を守ってくださっていると感じました。

 人々は徐々に私たちを注意してじっくり視るようになりました。ある日、いつもと同じように横断幕を開いて、発正念をし、煉功をしていた時、ある男性が決心したように声をかけました。「私はあなた達のようなおばあさんに本当に感心した。風が吹いても雪が降っても少しもやめないね」彼の口調はきつかったけれど、彼は私達の大善、大忍による頑張り精神に感動したのだと思いました。またある日、私達が煉功しているときに、煉功動作が男性は左・女性は右からと違っているので、ある中国のお年寄りは走ってきて男性同修者を指差しながら「あなたの動作は間違っているよ。彼女たちと異なっている」と言いました。

 ある日、私達は中国領事館前で発正念をした後、ニューヨークの大きな地下鉄の駅で真相資料を配りました。その時往来する人の数がとても多く、私は買ったばかり毛皮付きの服を着ていましたが、私の前を通る2人の20代の黒人の男女に、私が資料を渡そうとした時、資料を受け取るどころか私の資料を持っていた手を殴ったので、資料が地面に散らかりました。私が資料を拾う時、彼らは私に向かって唾をはき、そのままハッハッと笑いながら立ち去って行きました。その時、私は顔が真っ赤になり、思わず涙がこぼれました。私は「これまで生きてきて、このような侮辱を受けたことがないし、昔は職場では人に好かれ、家でも私の意見が通っていた。食べ物にも着るものにも心配なく過ごして来たのに、今日このような大勢の前で他人にこのような侮辱を受けるなんで納得が出来ない」と思った時、ふと「私は修煉者であり、衆生を救い済度し、師父について正法を行っているのではないか。正法の道のりは至る所に関があり、苦しみの中で錬磨していくのだ」と思った瞬間、心が落ち着いてきました。 

 同修と一緒に住んでいると心性上の摩擦がいつも起きました。私達と同じ室のお年寄りの同修が地下鉄で、全ての証明書(パスポート、身分証明証等)を失くしてしまい、帰って来て私達に発正念をして自分を助けてくれと言ったので、私は彼女にその時師父に助けを求めたのか、発正念はしたのかと聞いたところ、彼女はしていないと答えました。それを聞いた私は、肝心なときに師父に助けを求めないことを心から怒って、彼女を相手にせず、彼女のために発正念もしなかったので、彼女は私に善の心が足りないと言いました。間もなくして、私も身分証明証を失くしました。これは私にどこかに問題があり、どうしてつまずいているのかを悟りなさいということだと気づき、私があの同修に対して確かに慈悲がなかったのだと思いました。その後、私は親戚に頼んでカナダの領事館に行って臨時ビザを取る際に、彼女のことを思い出して、彼女と一緒に手続きをすると、直ぐに許可が下りました。彼女が帰る時、荷物運びを手伝う約束をした二人の同修がおらず、その場にいた私が小さな車で彼女のたくさんある荷物を駅まで運びました。彼女は心から私に感謝しました。私は深く大法の円容を感じ、どこかに漏れがあるなら、いずれそこを直す機会や環境があってそこで自分を正すことが出来ると思いました。

 ニューヨークの生活条件は難しく、リズムがとても早くて緊迫感がありましたが、心はとても落ち着いていました。この活動の前、私は同修と一緒にそれぞれの国や都市に行って法を実証する活動に参加しました。バンクーバーにも行き、法を実証する色々な洪法活動に参加しましたが、家に帰ると本当の自分の居場所を探し当てていないように落ち着かなくなりました。今度のニューヨークの洪法は私にとても大きい収穫を与えてくれました。法理上の昇華、心性上の向上、身体の変化等です。私は衆生を救い済度する中で自らの修煉を高めていくことに気づきました。多くの友人は私に会うと若くて元気になったねと言います。

 2005年7月にDC法会が終わった後、私はバンクーバーに帰りました。バンクーバー中国領事館のビザ申請所は最も邪悪の集まる拠点であることに気づきました。毎日少なくとも300人程の人がビザ申請に行き、世界各地から異なった人種や階層の人達も行きます。中国と商売をする人、業務関係の人、旅行に行く人、更に多いのは帰国のビザ更新の中国人でした。あの街は人の往来が多いところです。私はそこで横断幕を開いて発正念をし、真相を伝えようと思って、出発までの間ニューヨークの同修と一緒に自分の考えを交流して、同修達の支持を得、横断幕や資料などを用意して貰い、また小さな台車も買いました。バンクーバーに帰った後、私は協力者に私の考えを相談して、皆さんの支持を得ました。私は今後、1本の杭のようにそこに立ち真相を伝えようと思いました。修煉の道のりはそれぞれ異なっています。これは私の修煉であり、法を実証し、衆生を救う道でもあると悟りました。 

 バンクーバー中国領事館のビザ申請の受付時間は、午前9時から午後1時までです。私は定期券を買って、2回に分けて物を運び、8時45分頃にビザ申請所の前に着きました。10時すぎには他の同修も来て、毎日少なくとも2〜3人はおり、月曜日から金曜日までビザ申請所の人が出勤すると私も「出勤」しました。 

 ビザ申請所の前に、「法輪大法は素晴らしい」、「法輪功に対する迫害を止めろ」の横断幕を掛けて、「普度」の音楽や煉功曲を流しながら、私は側で真相資料を配ったり煉功したりしていたので、周囲は大法の慈悲が溢れており、強い場に包まれていました。何人の人が済度を待っているのか、どのぐらいの人が真相を知った後大法を支持しているのか、私達正法時期の大法弟子の責任は重大であると私は思っています。

 私がビザ申請所前に横断幕を掛けてから3日後、ビルのガードマンが来て、「あなたがこの横断幕を入り口に向けて掛ける意味は何ですか。家に帰って掛けなさい」と邪魔しに来ました。私は「この横断幕はここが一番適切です。中国共産党は武器を持たない修煉者を迫害し、殺害しています」と言うと、「この横断幕は醜い」と言い、私は「金色に光っているのに醜いのか」と言いました。また、彼は「何日間掛けるのか。いつまで掛けるつもりなのか」と言ったので、私は「迫害が停止されるまでだ」と言い、彼は「有り得ない」と言いました。私は「なぜ有り得ないのか。法輪大法の資料はあなたも読んだことがあるでしょう」と言うと、彼は「以前他の同修者から貰ったので読んだことがある」と言い、私は「あなたは生活の為にこの仕事をしているが、私は私の信念が理不尽な迫害遭っているから来ている。あなたは私達の邪魔をしないで欲しい。そうするとあなたに良くないし、善悪にはそれなりの報いがある。善を行う者は徳が大きいのだ」と言い聞かせました。他の同修も絶えず彼に真相説明をしたので、彼に変化が起きて他人が捨てた真相資料を拾って帰ることもありました。

 前回の胡錦涛のバンクーバー訪問時に、私達は空港へ行き横断幕を掲げていたので、数日間ビザ申請所には行きませんでした。数日後、行ったとき、彼が「どこに行っていたのか。なぜ来なかったのか」と尋ねました。彼は私達に対してとても同情しており、善の心があると私は思いました。今年の新唐人の「全世界の華人の新年晩会」の巡回公演が初めてバンクーバーで公演される時に、私は彼の全家族を招待して見せました。彼はとても嬉しそうな表情を見せ、その翌日に「とてもよかった」言っていました。

 私は深く毒害された数人と会ったことがあり、彼らから悪毒な言葉を聞かされたことがあります。つい最近60代のお年寄りが、自分はニューヨークから来ており、私達が毎日50元貰っているとか、大法を中傷する言葉をたくさん言いました。私は耐えられなくなって、彼を直視しながら「私たちの師父を悪く言うな」と言いました。彼は私の厳しい顔を見て、直ぐ逃げてしまいました。ある日、ある文人のような学者が「本は悪くないが、あなた達の師父は大学も出ていない」と言うので、私は「あなたがこの本を読んだと言うのなら、まだ善の心があると思います。私の師父は大学に行っていないけれど、師父が書かれた『転法輪』はすでに70〜80カ国の人々に愛読されています。あなたが博士だとしても、このような能力は無いと思います。あなたの主であるイエスも大学には行っていませんし、釈迦牟尼も大学に行ったことがありません」と言うと、彼は何も言わずに離れて行きました。

 私達は毎日大量の中国語や英語の資料と『九評』を配っています。多くの通行人はとても礼儀正しく、笑顔で私達に挨拶し、資料を貰って帰ります。果物を送ってくる人、お金をくれる人に対して、私は自らがここにいる目的は皆さんに中国共産党が法輪功を迫害する真相を知らせる為、そして法輪大法が良いことを知らせる為であり、決してお金の為ではないと伝えました。ある時、大陸から来られたある先生が1枚の小切手を持ってきて私達に資料を買うのに使いなさいと言い、また数人が大紀元の『九評』を印刷するのに寄付すると言いました。ビザの更新に来られた人は自ら資料を要求し、ある企業家は『九評』を7冊と真相資料を貰って帰る時に「怖くはありません」と言いながらスーツのポケットに入れました。

 今年2月中旬のある日の昼、私が資料を配っていた時、30代くらいの西洋人が真相資料を貰って一歩歩いてまた戻ってきて、両手を合掌しながら私の前にひざまずいて何かを言いました。私は英語が分からないのですが、また一つの生命が真相を知り大法を支持するようになったと思いました。 

 ここでは毎日のようにストーリがあり、良い人、悪い人、だまされた人等など色々な人に出会います。様々な方面で真相説明を行い、活動の中で苦しみの中に楽しみがあり、修煉には本当に良い環境だと思い、私はとても充実感を覚えています。

 足りない所は、慈悲の指摘をお願いします。 

(2006年のニューヨークの法輪大法の体得交流会での発言原稿)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/3/31/124063.html