日本明慧


いかに妨害を見るべきか

文/ドイツの大法弟子

【明慧ネット2006年4月9日】われわれの執着心に漏れがあり、旧勢力に隙に乗じられたため、われわれが法を実証することに妨害と苦難、問題をもたらした。もし、ただ発正念を通して形式において否定するだけで、真に内に向かって問題をみつけ、漏れをふさがなければ、根本的に問題を解決することはできず、妨害や問題も依然として存在し続ける。

 ある真夏日に、私はある同修と一緒に真相を伝えていたとき、私達は安逸心にかられて、もともと予定していた場所ではなく、ビルの日陰のある所で真相を伝えていた。真夏日にもかかわらず、私達の前に多くの人が行き来しているのに、真相資料を受け取る人はほとんどいなかった。およそ30分後、ある店から一人の若者が走って来て、私達をその場から追い払おうとした。私達はただちに邪悪による妨害と見なして、なぜならば表面から見て、その若者は私達が真相を伝えることを妨害しようとしていたからだ。私達は彼と話しをしても説得することはできなかった。仕方なく私達はまた元の予定していたところに戻って、真夏日の中で続けて真相を伝えていたが、状況は一変した。私達はたくさんの通行人と話ができるようになり、真相を知ってもらったうえ、多くの人が真相資料を受け取った。表面から見て、店の若者が利用されて私達に妨害をもたらしたように見えたが、実際彼は私達に、自分たちの執着について認識するために助けてくれたのだ。これは一つの例である。

 今、私はいかなる妨害や困難にであっても、私はたえず内に向かって探し、自分の本当の漏れを見つけ出すまではやめない。それに、執着とは時にそう簡単に見つけ出せるものではなかった。しかし、時には他の同修あるいは他の人の口を通して、啓示を与えられることがある。あるとき私は、自分の利己心の執着が示されたにもかかわらず、私はそれについて認識することができなかった。

 もしわれわれは問題をみるとき、同時に二つの面から見ることができれば、よりはっきりと見えるようになる。一部の出来事の表面は、妨害や問題に見えても、実際はもう一つの面から、私達の執着と不足を反映しているのかもしれない。われわれが認識でき、ただちに正すことさえできれば、さらに早く向上することができるようになる。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/4/9/124796.html