日本明慧


高蓉蓉さんが亡くなってから1年に(写真)

 【明慧ネット2004年4月8日】 高蓉蓉さんの母親は、泣きすぎて涙が枯れてしまった。しかし、彼女は残酷な現実を通して強くなり、心の中には恨みはなく、ただあるのは痛みだけである。娘を迫害で亡くしてからもう1年になる。

 

 この数日間、高蓉蓉さんの両親、姉は様々な部門で告訴したが、何の結果も得られなかった。これらの政府の人々は、会議があるとか用事があるとか、口実を作り、最終的には彼らに自宅で待っているようにと言った。高蓉蓉さんの両親は寒風が吹く中、遼寧省の検察庁まで行き、正門から脇門に入り、また脇門から正門に行ったりした。大門からはたくさんの接待の人が入り、脇門は開かず、ただ寒風の中を行ったり来たりするだけで、朝から晩まで結局何の成果もなかった。

 

 高蓉蓉さんが亡くなる前、瀋陽市労働教養所、馬三家労働教養所、遼寧省司法局、省労働局などの人々は口を揃えて、「心配しないで下さい。法律が手を下すので、あなた方はもう探す必要はありません。家に戻り待っていて下さい。何も報告が無ければ、今回、高蓉蓉さんには何も無かったということになります」と言っていた。誰も高さんの家族に「彼女の身体は大変衰弱している」と伝えたものはいなかった。

 2005年6月16日、高蓉蓉さんはこの世を去った。37歳であった。「何も報告が無ければ、今回、高蓉蓉さんには何も無かったということになります」といい続けた人は、彼女の家族に圧力をかけ、遺体を早急に火葬した。

 

 内部情報に詳しいものによると、竜山労働教養所で残酷な迫害を受けた高蓉蓉さんが法輪功学習者に救われたことは、中共の常務委員会「610オフィス」のトップである羅幹により「公安部26号案」として取り扱われていた。

 2005年6月12日の午前9時頃、高蓉蓉さんの両親はついに病院から通知を受け、呼吸器をつけた高蓉蓉さんの姿と対面した。変わり果ててしまい、身体は骨と皮だけの状態で、全身の器官が衰弱していた。救急室の医者は「6月6日に危篤です」と言った。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/4/8/124732.html