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吉林省の蔡福臣さんは不法に重刑を受け、一家は離散し、家も家族もなくなった

 【明慧ネット2006年4月12日】吉林省竜井市の法輪功学習者・蔡福臣さんは、99年7,20以来、長年にわたって各種の迫害を受けた。だがしかし彼の大法修煉への意志は揺がなかった。2004年5月26日、蔡さんは延吉市依蘭派出所により不法に連行された。現在吉林省公主嶺刑務所に不法に拘禁されている。彼の妻は迫害を避け、家を離れ放浪せざるを得なかった。長年の病気で半身不随になっていた父親は息子が残虐な迫害を受けていることに精神的打撃を受け、苦しんでいたあげく悲惨にも世を去った。10歳余りの息子は親戚の家に預けるしかなかったが、両親の関心と愛情を失い、生活もとても困難で、更には学校に通う権利まで奪われた。 

 蔡さん(41歳男性)は、漢族で、もと吉林省竜井市税務局の優秀な公務員であった。1999年11月、政府に法輪功の真実を伝えるために北京に陳情に行ったところ、不法に連行された。その後、竜井市留置場に不法に1カ月拘禁された。そのことで、蔡さんは竜井市税務局の停職処分を受け、給与も停止された。 

 2000年3月、蔡さんは朝、外で煉功していた時、竜井市竜門派出所の警官に不法に連行され2年の労教判決を受けた。その後、延辺労働教養所に移送され、不法に拘禁されると同時に、不法に公職も解かれた。 

 2001年2月、蔡さんが労教期間中、吉林省政法委員会の副書記が延吉市610の副主任・胡暁燕などの同伴の下に、延辺労働教養所を視察にきた。大法と大法弟子がぬれぎぬを着せられた情況の中、蔡さんなどの数人の学習者はこのチャンスを逃さず、立ち上がり大きな声で「法輪大法はすばらしい」といって、大法を実証した。結果、延辺労働教養所の学習者を主管している教育科課長・李文彬と悪らつな警官達は上級部門の人たちの前で恥をかかされたことを恨んで、前後の見境もなく怒り、蔡さんを小号に拘禁して一カ月余りにわたって迫害をした。その後、蔡さんは九台飲馬河労働教養所に移送され、1大隊に配置された。寒い冬も彼は強制的に労働を強いられた。 

 2年余りの迫害を受けた後、2002年3月、蔡さんは釈放された。しかしそれから彼の生活は安寧な日々がなかった。彼が家に帰ってきた後も、竜井市政府の不法官吏達は決して迫害の手を緩めず、様々な手を使って蔡さん一家を迫害した。竜井市政法委、政保科、竜門派出所、街道事務所の人員は度々蔡さんの家に飛び込んできて無断で家宅捜査をした。 

 ある日の夜中、一群の悪らつな警官が恐ろしい形相でやってきて、わいわい騒ぎながら蔡さんの家の門をたたいた。その騒ぎに隣近所の人達までも起こされた。熟睡していた蔡さんの10歳の息子は突然の騒ぎに恐怖で震え上がった。それ以来蔡さんの息子は一人では怖くて家にいる勇気がなくなった。悪らつな警官らの暴行は成長している幼い心に極めて大きな傷を残した。 

 2002年10月、竜門派出所の耿立権などの数人の悪らつな警官は、竜井市政法委の指示を受け、また蔡さんを竜井市駅旅館の「洗脳班」に不法に連行した。蔡さんなど数人の同修は、断食をして迫害に立ち向かった。7日間の断食後、竜井市政保科の悪らつな警官は、蔡さんなどを竜井市留置所に移送した。1カ月後やっと釈放された。 

 2004年5月26日、蔡さんと他の同修数人は真相資料点で延吉市依蘭派出所に不法に逮捕され連行された、連行されたその夜彼の両足は打たれて重傷を負い歩くこともできなくなった。 

 2005年8月、蔡さんは不法に1年3カ月拘禁された後、意外にも吉林省延吉市裁判所から不法に10年の重刑を受け、直ちに吉林省公主嶺市刑務所に移送された。蔡さんは今そこで残忍悲道な迫害を受けている。 

 聞くところによると、公主嶺刑務所の数人の受刑者が昼夜を問わず蔡さんに付いていて、トイレにいくことも含め、すべての日常生活は監視されており、他の人との接触は許さなかった。しかも昼間強制労働を強いられた。現在蔡さんの身体は迫害で極度に衰弱しており、人相はまるきり違う人のようであるという。それでも監獄の悪らつな警官は依然蔡さんに対して残酷な迫害を行っている。 

 2005年の末、蔡さんの妻、張艶紅さんは家を離れ放浪せざるを得なかった。蔡さんの幼い息子は親戚の家に預けるしかなかった、竜井市の悪らつな警官は張さんを捕まえるため、蔡さんの幼い息子さえ見逃さず、毎日彼に付いて学校まで同行した。子供はこのような精神的打撃と監視に耐えられず、学校に通うこともできなくなった。いま蔡さんの息子は学校に通う権利さえ奪われ、両親の関心と愛情までも失い、心身ともに深刻な傷を負った。内情者によれば蔡さんの息子の生活はとても苦難に満ちていており、彼はとても両親を懐かしんでいるという。 

 2004年10月、蔡さんの老いた父親は半身不随になったにもかかわらず、息子が延吉市留置場で迫害を受け命が危篤であることを耳にし、足を引き摺りながらやっと延辺州の投書・陳情局に人を要求しに行ったが、理不尽に拒絶された。老人は息子に会えなかっただけでなく、現地の悪人により竜井市派出所に連れて行かれた。2005年、父親はこのような打撃に耐えられず、とうとうこの世を去った。亡くなる最後まで息子の蔡福臣さんに一度も会うことができなかった。 

迫害に加担した部分的部門:延吉市610オフィス、延吉市公安局国保大隊、延吉市依蘭派出所、延吉市検察院、延吉市裁判所、延吉市留置場、竜井市公安局国保大隊、竜井市竜門派出所、竜井市留置場、吉林省延辺労動教養所、吉林省九台飲馬河労動教養所、吉林省公主嶺刑務所など。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/4/12/125020.html