日本明慧


良く行うには、心性の向上を!

 文/海外の大法弟子

 【明慧ネット2006年4月25日】今回ワシントンDCで横断幕を揚げたとき、気づいたことです。長時間横断幕を揚げていると疲れてしまい、特に太陽の真下にいると、なお更辛く感じます。そのため、一部の同修、私自身も含めてそれを恐れ、他の楽な仕事や好きな仕事を選り好みします。大法を第一位と見なしておらず、どの仕事が自分を一番必要としているかも考えていません。ただ心が落ち着かず、一方横断幕を揚げたくないが、また一方では揚げたくない心が間違っていることを知っています。横断幕を揚げている学習者を見て交代してあげたいが、もし交代してあげたら、今度いつ交代してくれるかを心配し、安逸を求める心により、横断幕を揚げませんでした。

 ある日、私は横断幕を揚げ、しばらくして疲れてしまい、資料を配ろうと思いました。配ろうとしたところ、他の横断幕を揚げている同修が交代してほしいと言ってきました。私は続けて横断幕を揚げました。これは偶然なことではなく、師父が按排してくださったのだと気づきました。他の同修と比べると、私の横断幕を揚げていた時間は短く、すぐ疲れるはずはありません。それに、もし正念を持っていれば、長く立っていても、足が疲れるはずがなく、それは人間の観念によってもたらされたものでした。反省してみると、当時の資料を配りたいという心は純粋に真相を伝えたいためではなく、ただ楽な仕事をしたいと思っただけのことでした。その時、資料を配る人より、横断幕を揚げる人の方が少なかったのです。

 この時、太陽の真下で、一心不乱に、まっすぐに立って長時間にわたり横断幕を揚げている、ある女性の同修の姿が目に入りました。日陰にいる自分は横断幕をしばらく揚げたら疲れを訴え、揚げながら誰かに交代してもらおうと考えていました。心性はぜんぜん基準に達していませんでした。間もなく、その女性の同修は交代され、資料を配り始めました。彼女の側を通った人々はみな喜んで資料を受け取っていました。私は以前資料を配ったとき、とても効果がよく、何度も同修に褒められたが、その日は効果が良くありませんでした。

 「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)という言葉の通り、出発点や状態が正しく、心性も基準に達していれば、大法の仕事は自ずと良く行うことができ、さもなければ、うまく行えるはずはありません。

 台湾に帰る日、ワシントンDCから車で、ニューヨークの空港に向かいました。途中他のチームの同修は同じ車で空港に行くように手配されていました。その同修は何か心配しているようで、ぐずぐずして車に乗ろうとしませんでした。時間がぎりぎりでしたので、せっかちになって、飛行機に間に合わないのではと心配した同修もいました。数人の落ち着いた同修の説明により、その同修はついに車に乗りました。この時私は突然悟りました。私達は必ず飛行機に間に合います。私達の行為は他人のためであり、宇宙の基準「真・善・忍」に符合しているからです。良くないことが起きるはずがありません。それは大法の原則に許されず、宇宙の特性はすべてを制約しているからです。予定通り、車は道中順調に走り、飛行機に間に合いました。

 法をよく実証し、難関を突破しょうとするには、すべてが心性の向上にかかっており、次元が向上すれば、元の次元の魔難を自ずと乗り越えることができます。物事の成功と失敗は、うわべでどのぐらい行ったかに関係なく、私たちが行っている過程で法にどのぐらい同化したかにかかわっていると思います。

 個人の認識であり、不適切なところはご指摘をお願いします。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/4/25/126025.html