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「政治に参加しない」と『中国共産党についての九つの評論』について  

 文/ワシントンDCの大法弟子

 【明慧ネット2006年4月23日】中国共産党主席のワシントン訪問は終わったが、今回の集会と抗議活動に参加した私にとって、さまざまな方面で自分の修煉中の不足を発見することができた。

 蘇家屯事件が発生してから、私は証人の証言を読むたびに心が非常に痛み、すべての証言を読んだ後は一日中、自分の心情を平静にすることができなかった。同修との交流を通じて、正法の進程には順序があって、偶然なことは絶対に起こらないという認識はあったが、やはり常人の心と気憤の気持ちがあり、その気持ちを抑えることは非常に困難であった。

 その後、政府の要人に連絡を取って真相を伝える中、さまざまな人心の表現を見て、心が動じたこともある。すなわち、これらの人々に対して、怒りやかわいそうだという気持ちが出たのである。師父は、『2003年ワシントンDC法会での講法』で、「常人の中の悪人の一言は何でもありません。相手がいくら邪悪であっても私たちを変えることができず、どうしてもこの歴史の使命を果たしたいと思い、他でもなく大法弟子として行なうべき事を行ないたいと思えばよいのです」と教えてくださった。しかし、私は常人の一面の表現を見て、その人に対して非常に失望していたのである。

 『中国共産党についての九つの評論』の伝播と脱党活動の興起につれて、私達はさまざまな相関集会とパレードに参加した。ニューヨークで、「百万人が中国共産党から脱党」を祝うパレードに参加した時、私は非常に興奮した。その理由は、これまで私達はずっと法輪功に対する迫害を制止するためのパレードに参加し、初めて慶祝パレードに参加したからである。「天滅中共」、「共産党が無ければこそ、新しい中国がやって来る」などの言葉は、私の「人心」を動かしたのである。

 その後、私は『中国共産党についての九つの評論』と「脱党」を、衆生を救い済度する利器として見なした他、常人としての痛快感も多少あったのである。悪党が私達大法弟子を長期間、残酷に迫害して痛ましく、やっと私達が反撃する時期が来たという感じであった。別空間では、善悪は鬩ぎあう最中だが、常人の空間になると、非常に平和的な状態しか現さない。私達の使命は、衆生を救い済度するためであり、常人の政治に参加するためではない。「迫害を終わらせ、衆生を救度する」—これが私達の目的であり、「中国共産党を解体する」ということはただの手段であり、絶対目的ではない。

 しかし、蘇家屯事件が証人により暴露されてから、私はなんとなく「中国共産党を解体する」ことを目的としたのである。4月19日、中国共産悪党主席の宿泊ホテル前で、親共人員が、あらゆる方法を使って、中国共産党の赤い旗で私達の抗議の横断幕を覆おうとした時、私は警察の前に行って助けを求めた。また、非常に怒って大声で弁論したのである。その後、大法弟子側からも抗議の話が聞こえた。その時、私は自分の闘争心を強く感じたのである。

 修煉の段階が最後になればなるほど、私達大法弟子に対する要求はだんだん高くなる。師父は、「2004年アメリカ西部法会での講法」で、「大法弟子は既に最も厳しい歳月を歩んできました。皆さん最後の道をしっかり歩み、今まで歩んできた道を大事にするように期待しています。」と教えてくださった。私は、我々大法弟子の心態は、周りの環境の変化や形勢の変化によって変化すべきではないということを認識した。また、修煉中、常に自分の心から反省することこそ、自分のやるべきことをもっとうまくやることができると分かった。

 以上の心得は個人の悟りであり、適切でない部分があれば指摘してくださるようお願いします。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/4/23/125849.html