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2001年、北京西城留置場は、法輪功学習者を秘密に移送

 【明慧ネット2006年5月2日】私は2001年正月に、天安門広場へ大法を証明しに行った。そのとき毎日数千人の法輪功学習者が北京地区各留置場に拘禁され、彼らはみな自分の名前、住所を言わなかったため、番号をつけられ、その中の大部分は拘禁されてすぐ断食を始めた。軍の医者は毎日身体を検査し、血圧を測り、食物を注入した。数日経っても、いつも数人しか転向しないので、健康な学習者は秘密に移送され、西北へ木を植えるためといって送られたり、労働教養をされた。一旦送られると、まったく情報がなく、生死は不明だ。一体どこに行ったか、同修たちもわからない。

 最近、大陸の収容所で、法輪功学習者の臓器を生きたままで取り出す事件が暴露された後、私はそのとき留置場で秘密に移送された学習者を思い出した。木を植えにいくとか、労働教養へ送るとかは、信頼できる証拠はあるのか?或いは軍を利用してこれらの学習者を収容所で殺したか?内臓が奪われ、悲惨のうちに死亡したか?!このすべては反駁すべきものがないのが事実だ(まだ暴露されていない、もっと残酷なことがあるかもしれない)。血を見たがる癖のある悪魔の中共は、なんでも行うのだ!

 2001年正月、私は天安門広場で横断幕を広げ、一組の私服警察と悪らつな警官が私を殴ったり、蹴ったりし、私は必死に頑張って、一生懸命に「法輪大法は素晴らしい」と叫んだ。悪人達は横断幕で私の口を塞いで止めさせた。その後、私と同修は一つのバスに縛られ、別々に留置場へ送られた。

 私は西城支局留置場へ送られた。私は名前、住所を言わなかったため、彼らは私に88号という番号をつけた。私は彼らに協力しなかったため、一人の中年の悪らつな警官は私の顔を殴りめった打ちにした。まったく相手が女の子だという意識はなかったようだ。二人の女性の悪らつな警官は、二本の電撃棒で私を電撃し、「彼女の目を電撃して、目を電撃して・・・」と必死に叫んだ。私は苦しめられて死にそうになった。その後、私は彼らの私に対する侮辱に耐えられず、常人の考えで壁に頭を力いっぱいぶつけた(その後、壁にぶつけるのは大法の法理に適していないとわかったが、そのときは本当に耐えられず、そうした)。そのとき、彼らはみな驚き、ゴムの帽子を私の頭に被せ、手錠、足錠を嵌め、手錠と足錠の間の距離が短く、私の腰はまっすぐに伸ばせなかった、仕方なく腰が曲がったままで一歩一歩歩いた。

 私と同じ部屋に拘禁された数人の学習者は、一部は断食した。私は断食してとても衰弱した。同修たちは私をみて悲しく思い、いろいろ私の世話をした。私たちは毎日一緒に法を暗誦し、体験を交流し、一緒にいる毎日を大事にした。私たちは知っていた。今日は一緒にいても、明日はどうなるかわからない!毎日衰弱する学習者がいて、悪らつな警官は彼らが死ぬことを恐れて、彼らを釈放した。毎日、学習者が逮捕され番号をつけられ秘密に移送された。西北へ送ったとか、労働教養へ送ったとか言っていた。一部は名前と住所を言った後に、現地の公安が連れて帰った。私は西城支局で9日間いて、最後の一日、私は気が遠くなった。当日の晩、私と一部体調が不合格の学習者がパトロールカーに乗せられ、道路の横に放置され、釈放された。

 もし、私がそのとき気が遠くなっていなかったら、私も同様に収容所に拘禁されて虐殺されたかもしれない。自分と同修が悪鬼の医者に解剖され、臓器移植されたかもしれないと思うと、悲しみ憤り胸の中が抑えられなくなる。私は自分に忠告し、もっと精進し、師父が教えられた三つのことを行い、衆生を済度し、収容所で拘禁されている法輪功学習者を救援し、師父の慈悲に応えたい。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/5/2/126707.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/5/4/72832.html