日本明慧


自らの一念一意を正すべき 

 【明慧ネット2006年5月12日】私たちは神の道を歩いている人であり、常人の考えで物事を見てはならず、自らの一念一意をよく把握すべきです。

 邪悪からの迫害のため、私の経営していた店を辺鄙なところに遷さなければならなかったせいで、何回も泥棒に見舞われました。最初は盗まれたことに対して防犯を始めようという考えがありませんでしたが、同じことが2回も起きたことによって自分の心が原因でこれを引き起こしたのかと考え始めました。去年の冬、暖炉を一つ買いましたが、これを買う前にずっと盗まれるのを心配したうえ、買ったら余計に不安が募りました。結局、たった三日のうち本当に泥棒に遭いました。

 今年のある晩、街路灯が壊れたためますます暗くなって、家に帰ると玄関の電気も消えており、外を望むといっそう真っ暗になって人影がなく、点灯もない夜に泥棒が出没すると誰もわからないだろうと思うようになりました。結局、翌日の朝、本当に懸念した通りまたも盗まれました。パッと、自分の泥棒を怖がる心がこのすべてを促成したのだ、この怖がる心は正しくない念でありこれを取り除くべきだと目が覚めました。どれだけ正しくない念でも自分の頭に放っておいてはいけません。法の中から学んだように大覚者の一念は一つの宇宙を形成できるほどの力を持っているので、私たちの正しくない念も他の空間の物質でもあります。今日ここまで歩いてくることこそ大変難しいことで、もう人為的に自分で自分に損失をもたらしてはいけません。同時に学習者同士に対してもこのように接するべきで、学習者の欠点を後ろでこっそりと指摘するのでなく、「彼はよくなるはずだ、彼は必ずできるのだ」と改めて考えるべきです。

 「弟子の正念が足りれば、師に回天の力有り」(『洪吟(二)、師徒恩』)にもあるように、時々刻々正念を保つべきです。怖がる心を正念に転換して、硬く邪悪の干渉と破壊を拒む心に転換しましょう。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/5/12/127462.html