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河北刑務所:王晟標さんを「厳管隊」に拘禁してすでに19カ月  

 【明慧ネット2006年5月29日】不法に11年半と判決された石家庄の法輪大法学習者王晟標さんは、大法の信仰を放棄することを拒絶し、所謂「転向」を断固拒否した為,2004年10月から今まで、ずっと河北省の第4刑務所(即石家庄北郊刑務所)の「厳管隊」に監禁して迫害を強いられました。現在、彼の身体状況はとても悪くて血圧は高く、視力が急速に悪化し、下半身は麻痺して知覚がありません。

 40歳あまりの王晟標さんは、元石家庄化学工業学校の教師で、聡明、善良、正直、有能、労苦をいとわず心がまっすぐで、同輩及び上司からも一様に好評で尊重されています。

 1999年7月20日、中共が法輪功を迫害以来、王さんは北京へ行って法輪功の真実を陳情した為、職場の監視する下で居住して、1が月あまり帰宅をさせてもらえませんでした。この間長安公安支局及び躍進路派出所は王さんの家の住所を調べて、不法に1台のパソコン、法輪功書籍とテープなどの物品を没収して、持ち去りました。

 仕事に復帰してから後も、王さんは常に平服の公安員に尾行、監視されていました。特別「メーデー」「建国記念日」などの敏感日は、彼の居住団地の入り口、職場への交差点に公安、スパイが待ち伏せ、監視、尾行をしていました。

 迫害が絶えず強化され、2001年10月に、王さんは再度邪悪な「610オフィス」の「ブラックリスト」に組み入れられて、彼は仕方なく家を出ました。安定な住所さえ無く、放浪し、離散した生活を送りました。

 この間、「610」の警察が王晟標さんを見つける為、彼と関係ある身内、友達に圧力を加えて、捕まえる為長期に待ち伏せをしました。長安区の政法委員会書記・高氏の指揮下、長安公安支局と躍進路派出所は王さんの配偶者、梁林紅さんを会社から河北省政府所在地の洗脳班に連行して不法に1カ月間監禁したので、王さんの小学生の娘を世話する人がいなくなりました。そのうえに、この間悪らつな警察官は家に誰もいないうちに、家をまた1回不法に差し押さえて、娘さんの使用していた習得読み器、テープレコーダー、電話帳などを没収して持ち去りました。

 2003年8月、王晟標さんは不法に逮捕されました。家族は派出所、長安公安支局まで訪ねましたが、誰も実情を教えてくれませんでした。2004年の旧暦新年に至って、やっと王さんの家族は尋ねることができて、彼が石家庄労働教養所202の中隊に不法に監禁されていることが分かりました。そこでは王さんは非人道的な迫害を受け、悪らつな警察官は「小号」内に彼を拘禁して、囚人に交替で当直させて彼が就寝しないように監視して、目を閉じることさえさせませんでした。悪らつな警官は前よりいっそう厳しく、囚人に彼を長時間しゃがませたりしたので、彼の両腿は麻痺して歩行が困難になりました。同時に高血圧、乳腺増殖も患いました。王さんは石家庄労働教養所にて5カ月間非人道的に苦しめられて、地獄のような生活を送っていました。

 2004年6月王晟標さんは不法に逮捕されて、河北省の邢台市留置場に監禁された。王さんは真理を堅持、「転向」を拒絶して、同年の8月、邢台橋西裁判所に不法に11年半の判決を言い渡されました。同年の10月に石家庄北郊刑務所に監禁されました。家族は見舞いをすることを要求したが、刑務所側は許しませんでした。何度も交渉した結果、2005年4月、やっと家族が見舞いをすることを許可されました。

 2006年3月「両会の期間」に、石家庄長安公安支局沢山の警官は、夜明け方の5時頃、もう一回王晟標さんの家に乱入して、個々の部屋を強制的に見て、嫌がらせをして、梁林紅さんと娘さんを恐喝したが、断固として抵抗された為、すごすごと立ち去りました。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/5/29/129123.html