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寿光市:610オフィスが、張克亮、王忠雲さん夫婦を迫害した罪悪行為   

 【明慧ネット2006年6月1日】2005年の中国春節の四日前(2005年2月4日)の午後4時頃、山東省寿光市610オフィスの悪人・李同忠はひそかに計略を企んで、寿光市反法輪功偵察大隊の10数人が、寿光市圣城街道オフィスに行った後、朴里村の張克亮さんの実家に行って、法輪功学習者・張克亮、王忠雲さん夫婦を不法に拉致しました。

 警察官は、村に入るとすぐ張克亮さんの実家を包囲し周囲の道も全部封鎖しました。その後、法輪功学習者・張克亮、王忠雲さん夫婦を捜し始めました。悪党警察官は、張さんの実家の隣人の家も不法に捜査したので、隣人達は悪党警察官のこのような不法行為を非常に怒ったそうです。不法に2人を逮捕した後、悪人達はまた張さんの実家も不法に捜査しました。張さんの80歳をこえた母親と10歳の一番小さい娘は、怖くて全身が震えたそうです。悪党警察の中にいる悪人は、張さんの10歳の娘が父親と母親の行方を教えなかったことを責めて、強くその子を打ち、子供は倒れそうになりました。悪党警察官は、張さん夫婦に手錠をかけ、不法に2人の全身を捜査し、袋のものと鍵を奪いました。その後、悪人達は強制的に2人を2台のパトカ−に押し込みました。張さんの老母は、目の前で自分の息子と嫁がむりやり連れて行かれるのを見て、怖くて全身が震えて、話もできなかったようです。張さんの小さい娘は、自分の父親と母親がパトカ−に押し込められている所を見て、大きい声で泣きながら、発車しようとするパトカ−を追い駆けました。彼女は、小さい手でパトカ−の窓を叩きながら、「私の父と母を返して、私の父と母を返して・・・」と言いました。その場にいた人々は、この様子を見て、非常に悲しくて苦しかったそうです。2年前、2人が不法に逮捕された時も、このような状況であったが、悪党警察官はその時も不法に張さん夫婦の実家を捜査しました。何も見つからなかったが、その時、張克亮さんの父親は怖くて病気になりました。

 5,6人の悪党警察官(中には劉祝身、郭洪堂、馬温和が含まれている)が、不法に奪った鍵を持って張克亮さんが住んでいる所のドアを開き、どんな手続きもない情況下で、家具を勝手に壊したり、家にある1900元の生活費や、子供用複読機を勝手に取ったり、家にあるガス票を勝手に取ったりしました。不法な家宅捜査をする時、王忠雲さんは協力しない為、またむりやり悪人達に逮捕されない為、化粧室に入り鍵を閉めました。そこで、ある悪党警察官は、化粧室のドアを脚で蹴り壊し、彼女の長い髪の毛を引っ張りながら、気が狂ったように手と脚で彼女を殴ったそうです。悪党警察官が、拳で強く王さんの頭部を殴ったことで、彼女はその場で意識不明になりました。

 不法に審問する時、悪党警察官達は、張克亮、王忠雲さん夫婦に対して惨虐きわまりない拷問を行った。悪党警察官達は、張さんの服を脱がせた後、後ろ手に錠をかけ、両脚を電線で強く縛ったばかりでなく、張さんの棉服で彼の頭を包みました。その後、3人の悪党警察官・趙春利、劉祝身、馬温和は、張さんの脚を踏んだり、腰を踏んだり、高圧電棒で全身を電撃したり、長時間咽喉の所、乳頭や男性性器を電撃したりしました。意識不明になった張さんに対して、この3人の悪人達は、冷たい水を張さんの頭に掛けた後、再び電棒で彼の百会穴、頭頂を電撃したり、吸い残したタバコを両鼻の穴に入れたり、火が付いているタバコで背中を焼いたり、顔を殴ったり、皮帯で殴ったり、拳と脚で殴ったり蹴ったりしました。悪人達のこのような残酷な迫害は、十時間以上も続きました。すなわち、午後5時から翌日の深夜3時半まで続いたそうです。

 そこで、張克亮さんの腰背椎骨は、再び折れてしまいました。(2001年12月、寿光市文家街派出所の桑漢利等4人の悪党警察官により、腰を打たれて腰骨が折れ、腎臓も打たれて機能を失い、尿血がありました。)こんな張さんが不法に寿光市反法輪功偵察大隊から看守所へ送られた時、張克亮さん夫婦を良く知っている友達がいたが、その友達も張さん夫婦を認識することすらできないぐらい、酷い情況になっていたそうです。張さんは、歩くことが非常に困難な状況で、顔も腫れて大きく見えたそうです。また、左顔の下部分には油皮がなくなっているばかりでなく、右顔の下部分には、深い傷痕が残っていたが、その傷の長さは約3センチもあり、傷の周りは全部黒くなっていて、見た目にも火傷で残った傷であるのが分かりました。張さんの咽喉の所には、見た目にも分かるような電棒で電撃されて残された深い傷があったそうです。張さんの妻の髪の毛は乱れていたばかりでなく、顔色は黄色くて、額には青い傷が残っていたそうです。このように殴られた2人であったが、悪党警察官は、また彼らを寿光市看守所へ送り、刑事拘留をしたのです。その後、悪人達は、張克亮さん夫婦をウェイ坊市洗脳班に送って、再び不法な迫害を行いました。寿光市看守所からウェイ坊市洗脳班に送られる前、王忠雲さんは既に体の片側が動かなくなったばかりでなく、半身不随の症状が現れ、診察や審問を受ける時には、受刑者が彼女を担架に乗せて行かなければならなかったそうです。2人とも不法な迫害により、このような状況になったにもかかわらず、ウェイ坊市洗脳班に不法に送られました。

 イ坊市洗脳班から出てきた時、張克亮さん夫婦は痩せて皮と骨しか残っていない状況でした。張克亮さんはひどい情況で、百会穴の所の髪の毛は全部脱落し、全身は傷だらけで、腰もまっすぐすることができなくて、既に障害者になり、労働能力も失いました。王忠雲さんは、顔色が黄色くて、視力も下がって物を見ることすら困難で、半身不随になっていて、生活が一旦困窮状態になって、親戚と友達の助けで過ごすしか仕方が無かったそうです。

 元々、張克亮さん夫婦は寿光市内で良い仕事があったが、「真・善・忍」の信仰を堅持したので、仕事をする権利を奪われたばかりでなく、数回の残酷な迫害を受けなければならなかったのです。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/6/1/129353.html