日本明慧


着実に自らを修めるべき
—『2006年カナダ説法』を読んで   

 文/台湾大法弟子

【明慧ネット2006年6月7日】師父の『2006年カナダ説法』を読んで、多くの収穫がありました。師父は説法の中で、「多くの学習者は煉功と法の勉強を修煉だと思っています。そうですが、これは直接、法に接触している部分です。着実に自分を修めるとき、あなたが接触している社会はつまり、あなたの修煉環境なのです。あなたが接触する職場の環境、家庭の環境はいずれも、あなたの修煉環境であり、あなたが歩まなければならない道で、必ず対処し、しかも正しく対処しなければなりません。いかなることもいい加減にしてはいけません」とおっしゃいました。この内容は私が修煉の中でずっと突破できないところを指摘しています。

 法を得てもうすぐで5年が経ちますが、法の中で精煉され、心性にも顕著な変化が現れ、友人からも変わったと言われています。しかし、ただ一つ、私は子供にどのように接すればよいのか、分かりません。ほかの人にとって簡単なことかもしれませんが、私にはなかなかできないのです。

 私は子供が一歳になったばかりのときに法を得ました。修煉を始めて間もない頃から、私はほかの学習者とともに、法を正す活動に参加してきました。ですから、最初の数年間、法の勉強と真相を伝えることに多くの時間を費やし、子供の存在を完全に無視していました。子供はそのとき、まだ話せなかったので、自分の不満を表現することもできませんでした。ある日、主人と友達から指摘されて、やっと、子供に対して責任を果たせなかったこと、私は自分が主婦であることを忘れていたことに気づきました。特に、大法の仕事をしているとき、子供に邪魔されたら、ついつい忍耐力を失い、常人の心が生じてしまいます。ずっと直したいと思っていますが、子供とのトラブルがやってきたとき、いつも心性を守れません。しばらくしたら、また後悔するという繰り返しです。

 数カ月前、子供が友達と遊んでいるときに、怪我をして、顔に深い傷口ができ、数針縫いました。そのとき、相手を責めないようにと子供に教えました。このように教えれば、修煉者としての基準に達したと思っていました。しかし、この数年来、子供は多くの病の関を乗り越えてきたのに、なぜ今回の傷がこれほど深刻なのか、私にも反省すべきところがあるのではないかと考えました。その後、『ロサンゼルス説法』を読んで、師父は、弟子が業を返すことに言及されました。師父は、「心配するようなことがあっても、危険がないように弟子を守っている」と、おっしゃいました。これを読んで、ますます自分に間違いがあると確信しました。師父は、私が子供に対してしっかり行わなかったことを厳しく指摘してくださっているはずです。

 いったい、問題はどこにあるのでしょうか? 数カ月考えましたが、状態は良くなったり悪くなったりして、この状態は『2006年のカナダ説法』を読むまでずっと続いていました。カナダ説法を読んで、子供も私の修煉の一環だとは全く思っていなかったことに気づいたのです。子供は修煉のために按排されたものとは思っておらず、表面でごまかしているだけで、心の中でいつも子供に束縛されていて、自由がないと思っていました。はっきり言って、これは私心です。心を正しく持ち、法に基づいて悟っていないため、子供とのトラブルが起きたとき、いつも人心で我慢しています。観念を変えて、子供は修煉のなかで直面しなければならない問題だと認識できたとき、情況は少しずつ変化し始めました。

 幾世の迷いの中で、自分がどのような荷物を持っているのか、自分にも意識できないところがあります。子ども弟子が按排されて、私のそばにやってきたのは偶然なことではありません。子どもを通じて、私は深く隠れている執着を探しだすことができます。師父の苦心に感謝し、子供のこの数年来の私に対する寛容にも感謝したいと思います。          

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/6/7/129762.html