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なぜ私は法を学んでも法を得られないのか

 【明慧ネット2006年6月28日】私は毎日学法し、煉功もいつものようにやっているようだ。しかし、問題に出くわすと、いつも改善できない。私は、自分が「法を学んでも法を得られない」と感じた。どうしてこのようになったのだろうか?

 平生、法を学ぶときに気が散ることがよくあり、よく変なことをたくさん考えていた。学んだことのある法も暗記できず、ちょっと間をおくと、どこを見ていたのかを忘れてしまう。このように日々は過ぎていったが、どこに原因があるのかも分からないまま、学法を煉功もゆるがせにしていた。このように、内に向かってしっかり探さなくなった私を、旧勢力は妨害し始めたのだ。法を学ぶと眠くなり、発正念をしても手のひらが倒れていき、時には呼吸すら困難になる。説法の録音テープを聞くときも眠くなり、頭もふらふらしてくる。同修に、発正念で自分を助けてもらうよう頼んだところ、同修は私に、自意識を強めなければならないと教えてくれた。それを聞いた私は不服で、いろいろな口実を探していた。そして、何度もいろいろな問題に出遭い、いつも思うようにいかないが、それでも悟らなかった。

 ある時、グループ学法をしていた時、ある同修は「私たち修煉者の頭の中は、はっきりしなければならず、常人のものを取り除かねばならない。大法をより多くもてばもつほど、私たちの正念も強くなるのだ」と話した。家に帰ると、私は自分の頭の中には本当に常人のものしかないのか、と思った。「法はすべての執着、すべての邪悪、すべての虚言を破ることができ、法は正念を固めることができるのである。」『精進要旨(二)妨害を排除せよ』とおっしゃっていたのを思い出した。それから私は、学法においても、煉功においても、発正念においても、真相を伝えることにおいても、すべて着実に行うようになり、毎日師父の要求と大法の基準をもって自分を律している。それから間もなく、私は以前のような妨害のない時に戻った。

 そこで、私は一人の修煉者として、もし精進して修めることができなければ、回り道を歩むようになり、自分が後悔するようになるのだと強く感じた。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/6/28/131626.html