日本明慧
■印刷版   

強姦犯の何雪健は投獄されたが、劉季芝さんは依然として冤罪が晴れない(写真)

 【明慧ネット2006年6月28日】2005年11月25日に、河北省タク州市東城坊鎮で発生した警察官が2人の法輪功学習者を強姦した事件について、最近、河北省保定市中級人民裁判所は密かに3回目の裁判を行なった。裁判所の最後の判決は「被告人・何雪健の韓玉芝に対する強姦罪については8年の有期懲役の判決を下す。劉季芝に対する強制的な婦女わいせつ罪については、証拠不十分につき3年の有期懲役の判決を下す。よって8年の有期懲役に処す」というものであった。6月8日、河北省の高級人民裁判所は何雪健の上訴を却下し、元の判決を維持した。


 2005年11月25日、法輪功学習者・劉季芝さんはタク州市東城坊鎮警察署の警察官の何雪健に酷く殴られて強姦され、臀部、足の部分が多くけがしている。

 2005年11月24日、タク州市東城坊政治法律委員会の書記の宋小彬、綜治事務所の主任の柴玉橋と警察署の警官は、5人の法輪功学習者を連行した。翌日(25日)の午後、悪徳警察官の何雪健は、公安局で相前後して学習者の劉季芝さん、韓玉芝さんを強姦した。事後、凶悪な党と政法人員はまた被害者の家族から「罰金」3千元をゆすった。劉さん、韓さんは自分が遭った蹂躪を暴き出したため、中共悪党人員は10万元の懸賞をかけて捕まえようとした。2006年3月7日、北京海淀区西三旗空軍の科学研究の耕地内の洗濯工場で、数人の目撃者が劉さんと娘さんが再度連行された過程を目撃したが、その後タク州市公安局はこのことを否定した。

 悪徳警察官の凶暴事件が露出した後、世界各地と中国の内部の正義の人士たちは強烈に法輪功学習者に対する迫害を厳しく非難して、厳重に凶悪犯を懲罰することを求めた。河北省とタク州当局は巨大な圧力を受け、悪事を働く輩達はこの状況下で自分を守るため、次々とうそをでっち上げて自分の悪漢行為を覆い隠したが、2005年12月11日、当局が正式に何雪健を逮捕した。

 この案件は河北省保定市人民検察院が次のように起訴した。「被告人・何雪健は東城坊公安局で臨時的に仕事をする際、2005年11月25日午後1時ごろ、法輪功の不法活動に参与して取り調べを受けている劉季芝を自分の部屋まで呼んで、劉の乳房と陰部を触って、彼女に対してわいせつ行為を行った。(注:このところ、劉季芝が強姦を訴えるのではなく、わいせつを訴えることに改めたのは、必ず迫害事件の中に事件がある)劉季芝を帰したあと、何雪健はまた韓玉芝を自分の部屋まで呼んで、ズボンを脱ぐように強制して、韓も強姦した」。検察院は、「被告人・何雪健の行為は『中華人民共和国刑法』第236条の第1項、第237条の第1項を犯し、犯罪事実は明確で、証拠は十分で、強姦罪、婦女わいせつ罪にあたり、刑事責任を追及すべきだ」とした。

 2006年5月15日午前9時、保定市中級人民裁判所は第1回の裁判を密かに行なった。被害者の韓玉芝さんと訴訟の代理人(夫)の劉建増さん、被告人の何雪健、その父の何建坡及び弁護人の河北信正弁護士事务所の弁護士の安行宇が出廷した。 

 裁判の過程で、被害者の劉さんは様々な原因でずっと出廷せず、訴訟の代理人も指定していなかった。

 2006年3月7日、劉さんと娘さんは北京で保定市の「特別査問グループ」にこっそりと捕まえられ、不法に満城県の西山ホテルで21日間拘禁され、3月28日、劉さんはタク州市の610オフィスによって不法に南馬の「洗脳のクラス」に16日間拘禁された。4月13日、劉さんはまたタク州市の610オフィスに 不法に保定市の第2中心病院(タク州に位置する)に64日間拘禁された。

 拘禁されている間の5月13日、保定市中級人民裁判所は劉さんに第1回目の法廷での審判への出廷を求めたが、タク州市の610オフィスのボスの高学飛、陳貴廷、張順はあれこれと妨害した。予定は15日午前9時の開廷だったが、当日午前の8時7分になっても、車も来ない、人も迎えに来なかった。劉さんは彼女を監視する警察に頼んで高学飛に電話をかけてもらったが、高学飛はしばらく保定にいると言ったり、タク州にいると言ったりして、時間がみるみるうちにすぎ、もう行っても間に合わなくなった時、劉さんは腹が立って、「もう行かない!」と言った途端、10分もたたない内に、張順は高学飛、陳貴廷を連れて、手にスタンプ台とペンと紙を持って現れた。

 張順が「もう行かないか」と聞くと、劉季芝さんは「もう行かないよ。行かなくても行っても結果は同じですか」というと、張順は「同じ、同じ、安心して」と言った。陳貴廷は劉さんに「自分の意志で法廷にいかないという保証書を書いて」と言い、劉季芝さんが「私は書けないのだ」というと、陳貴廷は自分で紙に書いて、劉さんに署名させ、劉さんが「自分の名前をうまく書けない」というと、陳貴廷はまた別の紙に劉さんの名前を大きく書いて、劉さんに書かせて、更に拇印を押させて、持って行った。

 5月22日午前9時、保定市中級人民裁判所は第2回目の公判を開廷した。被告人の何雪健は韓さんを強姦した事実を認定したが、劉さんを強姦した事実に対しては、証拠が不足だと認定した。判決は「被告人の何雪健は何度も劉に対して触ったことを自供したが、劉と性交が発生したことはずっと自供していなかった、王会启も被告人の何雪健が劉に対して触ったことだけを証言して、被告人の何雪健が劉に強行して性交が発生したというのは劉の陳述だけで、その他の証拠がなく、被告人の何雪健の性交が発生したのは証拠不足だと認定し、被告人の何雪健は劉の乳房と陰部を触った事実のみを認定する」というものだった。

 裁判が終わって1週間が経った6月15日午後5時、タク州市の610オフィスは、突然劉さんの家族に、彼女を保定市第2中心病院に迎えに行ってもよいと知らせた。

 今度、劉さんは北京で連行されて、また100日間人身の自由を失った。

 また情報によると、韓さんの夫の劉建増さんは身代を換金して妻に正義を取り戻すと誓い、引き続き宋暁彬、柴玉橋などの法的責任を追及し、民事弁償を求めると言った。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/6/28/131195.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/7/2/75031.html