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【伝統文化】ただ愛するだけで教えなければ、却ってその子を害することになる

 【明慧ネット2006年3月14日】梁元帝のご治世に、ある士人がいた。その士人は小さい時から非常に才能に溢れて、父親に寵愛されるばかりで、良き教育を受けていなかった。その士人の言い出す話にちょっとだけでも理があると、その父は絶えず彼を褒め称え、年から年中他の人の前で自慢話として持ち出していた。逆に少しだけでも間違いをすると、その父はさまざまな方法で覆い隠し、その子の代わりにいろんな言い訳を探していた。その後この子が成人してから、良くない品行がますます悪くなり、粗暴で傲慢であった。ついに言葉遣いを慎めなかったため、殺害されてしまった。

 このように、保護者はその子をただひたすら溺愛するだけで教戒を施さなければ、却ってその子を害することになる。

 『顔氏家訓』によると、良き教育を施すことができない人は、悪意をもってその子を罪悪の中に陥れようとしているのではなく、ただ子を戒めることや子の皮肉を痛めるのを見て忍びないだけである。ある人が病を患ったことを例とすると、人が病気になると薬を飲んではいけないのだろうか? それらの子供の教育に熱心な人々の誰でも、本当は子供を苦しませたくないのだが、余儀なくこのようにしたのではないだろうか。

 人の母として、慈愛が足りないのを恐れず、ただその子供を溺愛するだけで教育を施さないだけを恐れる。古人いわく、「慈母敗子(じぼはいし)」。母親はその子を溺愛するだけで教育を施さなければ、その子は悪人になり、悪辣な行為をするにいたり、つい最終的には懲罰を受け、自ら滅ぼされる。だがその子を滅ぼしたのは他人ではなく、まさにその生みの母である。古今東西、このような事例はあまりにも多く、数え切れないほどある。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/3/14/122286.html