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法を実証する修煉の最後の時間を大切にする


文/济南大法弟子

【明慧ネット2006年7月8日】明慧編集部からの発正念時間調整の知らせを見て、意外だった。パッとテーマを見た瞬間、如何に強く発正念をするのか、或いは何に対して集中して発正念をするかと予想したが、この知らせでいろいろ考えさせられた。

 まぎれもなくこの知らせは、法を正す勢いが急速に前へ進んでいることで、邪悪を一掃することが、わずかしか残っていないことの証明であり、つまり真相が現れ、天下の人々がこぞって喜びを祝う日までにもう遠くない、しかも終わりに近づいていると考えられる。しかしこの事は、ほんの少しもうれしく思わなかった。まず思い付いたのは法を実証する段階の修煉はもうすぐ終わりだが、例え明日で終わるとしたら、自分が法を実証する時期の大法弟子として、やるべきすべてをしっかりと行なったのか? 答えはまだだ。いつも三つの事をしっかりと行なっていると思っているが、しかし、まだまだ足りないのだ。 

 発正念のことを例にしても、最初はあまり重視しておらず、夜12時の正念は保証できなかった。それから認識の高まりに従い、4つの時間帯以外も、毎日できるだけ多く正念を発している。朝夜の通勤時間や、外出して出会った人にも正念を発していて、ほぼ随時随所で発正念ができる。発正念のことに対して十分に意識できてよく行なっていると思いきや、この知らせを見たとき、気持ちがやはり重かった。原因は日曜日の午前5時と7時の全世界の弟子が一緒に発正念することがとてもできず、特に最近はもう忘れたようだった。この知らせを見て、とても恥ずかしく、過去のことが永遠に過去になって、機会を過ぎたら再びこない、残念な思いを残してしまう、これからは戒めにしておく。

 正念を発して邪悪を一掃することはいつか必ず全体的に終わる日が来るし、真相を伝え衆生を救い済度することも終わる日がある、その時まだ残念な思いを残すだろうか。幸いにいままだ時間があり、しっかりと行っていなかった分をまたしっかりと行なうことができる。1時間ごと、1刻ごとは、すべて補う機会なのである。

 今、重視すべきなのは、ただ、今であり、法を実証する修煉の最後の時間を如何に大切にするのか。今の時間はとても速くて、ますます速くなっているのを感じて、できるだけ時間を大事にしているが、いつも時間が足りないと感じでいて、やりたい事、しなければならないことがたくさんあるのだ。

 この知らせを読んで、再び師父の無辺の哀れみ、師父の苦心を感じ取って、知らせの目的は弟子にほっとしてもらうためのものではなく、それはまだ精進していない弟子が、早く目覚めるよう、すべての大法弟子への励ましだと思った。時間はとても急いでいるので、人を待たない。「時は金なり」、でも時間の貴重さを形容することができない。師父は最後まで一人一人の弟子に十分な機会を与えるので、時間を大切にして、自分をよく修煉すると同時に、最大の努力を尽くしてしっかりと行うべきすべてをしっかりと行って、天下の人がこぞって喜びを祝う日がやって来る時、自分も約束を果たして、平然として師父に従って家に帰れることを望んでいる。

 個人的な体得で、適当でない所は同修の指摘を願います。
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/7/8/132338.html