日本明慧
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全体に合わせて学習者を救出せよ

 【明慧ネット2006年7月2日】地元における全体の協調について話をしたいと思います。地元の学習者間で全体の協調が悪いと指摘されたことがあります。しかし、この指摘を認めない学習者がおり、それは真相資料といった材料が大量にあったのではないかというわけです。もっと核心的に言うと、資料は確かに十分ですが、全体から言えば、顧慮しなければならない所が多いと思います。

 ところが、資料が満足しているかというと、都市レベルの地区では田舎に負けていると恥ずかしく思います。正法進度は最後になりつつあり、資料の整備は始まったばかりで、決して誇れることではなく、比べたら明らかに精進が違います。それは、全体で恐怖心を促成したかのではないか、全体に漏れがあったのではないかと考えます。

 また、解体の邪悪要素が少ない情況の中で、今でも大法弟子への迫害が続いています。私たち全体に漏れができた隙間が邪悪に乗じられて、その時に正念で手を打ったりして、気にしなくなった人もいました。ある学習者は一カ月続いた迫害に、家族のものが邪悪からの逮捕状付きサインを捏造することを強いられましたが、今でも近距離の正念を発するかどうかに合意をすることができませんでした。それに、いつもこういう時は、「何が近距離ですか?私たちの功ってアメリカまで行きますよ」、「あれは看守所とは関係ないのです。あそこは人を預ける場所だけです」というような様々な意見がでてきます。もし看守所がただの人を保管する所であれば、なぜその中で枷にかけられる必要があるのですか? 不法監禁と手足枷の強要ということは迫害ということを証明しているのではないですかと聞きたくなるわけです。

 ほかの学習者が迫害されたら、自分の身に起きたと同じように思えますか? これに対し、「彼(彼女)?、知らないです。みんなが彼らのことを知っていますか?」と差別心を持ちながら、迫害に遭った学習者のことを量っています。2004年に外地へ資料を配布に行った2人の学習者が迫害に遭い、当時、近距離の発正念で救出を図りました。そして、遠くからの学習者に20〜30元の交通費の負担があっても、みんなでよく調整し合えたから、一カ月で救出ができました。

 しかし、今、2人の田舎の学習者の場合は当時の状況と明らかに違います。あの田舎の家族は金銭で解決しようとしましたが、「610」に拒絶されてとてもがっかりしたそうです。でも、私たちも落ち込んでいるあの家族と同じように、がっかりするだけで済むのですか? そうはいかないでしょう? 学習者たちよ、偉大なる師父は私たち大法弟子に神通力を与えてくださったのに、私たちが邪悪の前に何もできなくて落ち込むだけでいいのですか?

 学習者よ、邪悪の迫害が止まらなければ、私たちの正念もやめないで、一つの最強の全体になりましょう!不法監禁されている学習者を無事に救出するように頑張りましょう!精進に頑張りましょう!

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/7/2/131921.html