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法理で向上することを真に成し遂げる


 文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧ネット2006年7月19日】明慧週刊230号で「絶えず法理で修めることができる学習者は修練体験を書き出すことを重視すべきだ」という文章を見て、自分の7年間の正法修練を振りかえって見ました。周りにいる学習者がやっているような凄まじい勢いはありませんが、しかし法理上で現在いる次元で理解すべきものの殆どを正確に理解できたと思っています。ここ数年もともと修煉体験を書こうともしませんでした。自分のこれっぽっちの認識を他の地区の学習者に比べればまだまだ足りないし、多くのよい文章を見ると、心の中ではいつも「見て、学習者がこんなに上手に書いたのよ、自分が書いたらこんなに上手には書けない」と思っていました。実はこれは常人の考えで、自分でわかっても突破できませんでした。

 正法の進展が絶えず進むにつれて、一部の地区(私達の地区を含めて)で全体の向上に影響すると思われる現象が現れてきました。学習者の文章を見て、私はいつの間にかペンを持ち、学習者達の交流の列に参加したいと思いました。長期に亘って地元(当県)の学習者達は皆一つの過ちがありました。それは、自分は本も読んで、煉功もして、真相資料も配ったから修煉したと思っています。この問題について私はただ自分の意見を話して、みんなと交流したいと思います。

 学法をどのようにするか、本を読んだからと言って学法ではないと思います。肝心なのはあなたの心が入っているか否かで、法の内涵をあなたが悟っているかどうかで、内涵を悟れなければどうして高次元へ修められるでしょうか?

 また皆が一緒にいるとき、人数に関わらず、常人の話ばかりで、あなたの家の事、彼女の家の事、あなたの買ったものがどうの、彼がどうのなどです。知らず知らずのうちに学習者にデマを広めており、他人の欠点を探して、自分の修煉に注意しません。配った資料の量を比べて、法理での交流をしないなどなど、甚だしきに至ってはうわさが原因でいまだに関を抜け出せず、頭の中には不潔なものばかりで、これのどこが修煉なのですか?

 私達は衆生の期待を持って、この地球にやって来ており、大法が伝わる時に大法を得ることができましたが、これはどんな栄耀ですか。法を学ぶ時あなたの知るべき法理を悟らず、戻る時にあなたの衆生に何を持って行きますか?

 もちろん旧勢力の重なる按排、私達が出てくる時に旧勢力がそれらの必要としているのを設けたのを含めて、あなたの一つ一つの思い、一つ一つの言動はすべて旧勢力が必要としているものです。では普段から勉強した法があなたの生活の中で甚だしきに至っては毎分毎秒にあなたが悟っている法理で自分を厳しく要求することができるかどうか、いつも旧勢力が必要としているのは何か? 法の基準は何か? どうしたら法の中で修めるのかを見抜くことができて初めて、もっと良くやれるのです。

 何が師父を信じ、法を信じるのですか? あなたは本当に師父の新宇宙の基準にしたがってやり、本当にやり遂げて初めて、本当に師父を信じ、法を信じたのです。

 どうして師父は「正法時期の大法弟子は偉大」と言われたのか? 私は師父の説法の中でこう理解しています。私達は新大穹の異なる宇宙で、未来の不破の異なる大宇宙です。本を読むだけで心を修めなければ、本当のより高い法理が見えなくなり、より高い法理がないとあなたはどうやって次へと進みますか? 真相資料を配って正法に参与したといいますが、あなたの基点はどこにありますか? 高次元の生命は私達の外在行動を見るのではなく、私達の内心を見るのです。心を修めなければ、大法の事をいくらやっても常人がよい事をしているのです。法理上で向上して、ようやく旧勢力の重なる妨害を取り除くことができ、ようやく正念に達することができます。

 個人の悟りで、適当でないところは学習者のご叱正をお願いします。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/7/19/133312.html