日本明慧
■印刷版   

私は「真の修」をやり遂げたのか?


 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2006年7月18日】私は98年に法を得て、ずっと自分は精進していると思っていました。今になってやっと、師父を信じ、法を信じる面において、とても大きな距離があることに気付きました。今日これを書き出して、同修のみなさん(特に私と同じ問題を抱えている同修)と交流し、修煉の厳粛さについてより深く感受したいと思います。 

 私が抱えている問題は、つまり、ずっと自分に病気があると思い込んでいました。言葉にしてみれば、とても不思議に思われますが、修煉をはじめた当初取り除くべき常人の心が意外にも7,8年も私につきまといました。今日になって、これ以上いわゆる病気の苦難に耐えられなくなってはじめて、真剣に真面目に自分を改め、修煉の漏れを自分の中で探すようになりました。修煉を始める前に私は、B型肝炎を患っていました。この病気の危害と影響は私の心に焼き付いていましたが、同時に、私が修煉の道へ進んだ主要な原因でもあります。また、私が人々に真相を説明し、警察と「法輪大法はすばらしい」と、言い争うことの理由でもあります。以前、私は入院して何度もB型肝炎の治療を受けました。修煉をはじめてからも常人の心は完全に取り除かれていませんでしたが、師父の保護のもとで治療しなくなりました。健康な人間になったはずです。

 今振り返ってみると、私の根本的な執着はここにあったのです。娘に伝染することを恐れて、私は食事をする時自分専用の食器を使っていました。普段、とても慎重に行動し、人から反感を覚えられるのを恐れていました。何度も娘にワクチン予防接種をさせました。ある時、予防接種のワクチンが一本欠けていることにも悟ろうとせず、病院に戻って足りないのをもらってきました。病院の医者はこのような事はめったいないと言いました。さらに、私はとんでもないことをやってしまいました。私がB型肝炎を患っていることを知っている友達が早めに社内定年退職して企業を立ち上げるために(社内定年退職は重い病気がないと申請できない)、彼にかわって私が検診を受けるように頼んできました。私は彼を手伝うことにしました。化学検査の結果またプラスが現れ、それが多くなるほど私の執着はますます強くなりました。ここには、いくつかの問題がありました。一つは、正念を持たずこれは自分にとって「すべきことなのかそうではないか」、「人間と神」の検診であることに気付きませんでした。もう一つは、私は人を手伝ってうそを作っていたのです。 

 心の中ではこれが常人の執着であるのを知りながら正念を持って取り除くことができず、潜在意識の中の常人の心はあまりにも根強いものでした。その原因として、法の勉強が足りないことにより正念がなく、完全に法の中に溶け込むことができませんでした。今考えてみると、正法が今日に進展している中まだこのような常人の心を持っているということは、極度に危険なものでした。私はこれらを書き出し、自分に警戒を呼びかけると同時に同修たちがこれを教訓にして、必ず真の修をやり遂げることを期待します。

 病業の面だけではなく、師を信じ法を信じる面においても同様に、師父と法に対して100%信じなければなりません。いかなる面でもほんのわずかな常人の心を持っていてはなりません。幸いなことに慈悲あふれた師父がいらっしゃり、私たちにはまだ機会があるのです。私たちは共に精進し、真の修煉をやり遂げましょう。

 個人の体験であり、適当でない所は慈悲のご指摘をお願いします。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/7/18/133331.html