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掲陽の法輪功学習者・黄湧忠さんは北江監獄で残酷に迫害され死亡(写真)

 【明慧ネット2006年7月25日】掲陽の法輪功学習者・黄湧忠さん(30代男性、)は幼いころから体が弱く、しかも癲癇を患っていた。1997年に彼は法輪功を修煉し始めてから体が丈夫になり、持っていた持病は完治した。

 
黄さんが警官に酷く殴打された15日後の写真
黄さんが警官に酷く殴打された15日後の写真
黄さんが警官に酷く殴打された15日後の写真

2001年9月9日に黄さんは地元で法輪功の真相資料を配った際につかまり、掲東看守所に閉じ込められ、そこで看守所の所長の呉に酷く殴打された。その後、掲東裁判所は捏造した証拠により、黄湧忠さんに7年の懲役刑を言い渡した。2001年11月20日に黄さんは北江監獄に送られた。

 北江監獄で黄さんは「真善忍」を放棄しないほかの法輪功学習者と一緒に個別牢屋に閉じ込められたり、重労働をさせられたり、寝かせられなかったりしていた。さらには薬物をご飯に混ぜ込んで食べさせられた。結局は、それらの法輪功学習者は精神が朦朧となっていた。一カ月の苦しみを経て黄さんは別の牢屋に移されたが、そこで相変わらず看守や受刑者らに滅多打ちされた。

 2006年7月2日に黄さんの父母は二回ほど監獄からの「すぐに来い」という電話を受け、両親は黄さんの友人と一緒に監獄に駆けつけたが、「黄は病院に移された」といわれ、三人はまた病院に駆けつけた。そこで見たのは、黄さんが手枷と足枷をつけたままで病床におり、話せない状態だった。母親が布団を開けてみたら、黄さんは傷だらけとなっていた。

 両親は黄さんの釈放を要求したが、監獄側はいろんな理由をつけて断った。7月5日早朝に、二人の老人は公安局と当地の610(法輪功取締本部)に駆けつけて息子の釈放を求めたが、また断られた。二人の老人は「もし息子に何かあったら、あなたたちが責任を負えるのですか?」と詰問した。そこで、公安局は証明書を出した。

 翌日に二人の老人は証明書を持って監獄に行ったが、監獄の責任者がある紙を出して、サインするようにと求めた。二人の老人が内容を見ると、「これから黄に現れるすべての問題は当該監獄に関係ない」ということが書かれてあった。母親が怒って、サインを断った。結局、監獄側は黄さんを掲陽人民病院に送った。同行の警官は「治療できるなら、治療して、できなかったら、ほっといてもかまわない」と言ったので、その場にいた人々はみんな驚いた。すぐ治療を受けられなかったため、十数日後に黄さんは家でこの世を去った。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/7/25/133978.html