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馬三家労働教養所:劉宝玉さんは期限をすぎて3年に亘って迫害されている

 【明慧ネット2006年7月26日】遼寧省黒山県の法輪功学習者・劉宝玉さんは、馬三家労働教養所で3年あまりを経て、さまざまな迫害を受けたものの、未だに期限を過ぎても迫害を受け続けている。劉さんの夫は教養所に妻を迎えに行ったが、悪徳警官に不法に拒絶され、面会することさえ出来なかった。

 劉さんは黒山県太和鎮王憲村の普通の農家の女性で、1998年好運にも法輪大法にめぐり会えた。法輪大法を修煉以来、彼女は以前に患った酷いめまい、足の痛み、咳などの諸般の疾病が治療せず自然に治った。同時に家庭内のトラブルも和解し、舅夫婦に孝行して仲も大幅に改善した。 

 法輪大法を修煉してから、劉さんの身体はよくなって、農家の仕事も若者と変わりなくでき、本当にすばらしい一人前の働き手だった。生活中どこでも「真、善、忍」に照らして、善人に徹した。彼女は以前理髪の技術を学んだことがあって、法輪大法を修煉以後に彼女は村中みんなの床屋になった。近所、親戚友人はおろか村人の理髪は全部彼女がした。自分の家の仕事がどれだけ忙しくても、村人たちが家にやってきたら、彼女は頼まれたことは必ず承諾した。村に1人の独身老人がいた。彼女は常に老人のために水を運び除雪などをして老人は非常に感謝していた。村人たちはみんな彼女の善良な心を褒め、彼女は村で有名な善い人であった。

 1999年7月江沢民は個人の嫉妬から、邪な迫害を起こした。劉さんは法律に沿って首都へ陳情しに行って、北京で不法な警察に逮捕された。帰ってから現地派出所警察に掻き乱され、村の幹部にも監視された。同年の10月28日より、8日間村の施設に不法に監禁された。 

 2002年10月8日、黒山県公安局は太和鎮派出所といっしょに出動して、3台のパトカーが村へ行って劉さんを逮捕しに来たが、家族と村人たちの保護の下で、彼女は安全に逃亡した。それから家出をせざるを得ず、落ち着ける所のない生活を過ごした。 

 2003年5月21日午前、劉さんは黒山県公安局国保大隊の肖忠影、畢詩君などに連行され、身につけていた銭、物などは全部奪われた。公安局と国保大隊の何人かの悪徳警官が迫害に参与した、特に国保大隊の悪徳警官・肖忠影と畢詩君は劉さんを気が狂ったように殴打した。畢詩君は棒で彼女の頭を殴打し続けて、棒も3つに打ち折れた。彼女は体が傷だらけで、惨たらしくて目も当てられなかった。何回も彼女を気絶するまで殴ったあと悪徳警官たちは再び冷水で彼女を目覚めさせた。悪徳警官が彼女を監視室に引きずってきたときに、屋内の人は全部驚いた。彼女の体全体がじくじく湿って、顔は殴打により変形していた。彼女に着替えさせてあげたときに、体中は傷だらけで、青や紫の傷があり、脚は腫れて太く人間らしさはすでになかった。長期間、半月過ぎても彼女は(南東北西)方角が判らなかった。 

 黒山留置場に1カ月あまり不法に押し込まれてから、また不法に3年の労働教養を言い渡されて馬三家労働教養所まで送り届けられて迫害を続けて受けた。

 邪な馬三家教養所で彼女はさらに3年あまり、残酷な迫害を毎日受けている。彼女は自分の信仰を放棄せず、「真、善、忍」をすてることを拒絶したため、1階の空き家に4カ月近く隔離された。この間、毎日厳しく監視されて、洗脳され、毎晩受刑者が順番に監視し就寝させなかった。座ることも許さず、脚は立ち続けたことで腫れた。ちょっと眼を閉じても、当番はすぐ力を入れて彼女をつかんで殴打した。悪徳警官は他の受刑者に彼女を殴打するように指図して、びんたを食らわせ、思い切って彼女を蹴らせた。これが毎日長く続き、劉さんの心身の苦痛は耐えられないほどだった。 

 2003年12月5日、遼寧省の所謂「洗脳班」は、馬三家労働教養所の女子第2所に駐在して、拷問で洗脳することを強いた。隊長の張環は劉さんを送って迫害を強めた。この邪な「洗脳班」は、彼女を強行して「転向」させるため、4人が彼女の脚を反対に組むようにして(非常に残忍な拷問)、再びシーツで縛って、しかも動かさないよう押さえて、「まだ貴方は煉功したいでしょう? 私たちはあなたの煉功を手助けしているよ……」と邪悪に言った。 

 劉さんは転向を拒絶したため、何回か刑期を伸ばされた。これはただ3年来、紆余曲折を経て分かった僅かな情報で、更なる残酷な迫害事実は現在、まだ知ることが出来ません。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/7/26/134001.html