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一家離散、初立文さんはウェイ北刑務所で行方不明

 【明慧ネット2006年7月26日】山東省ウェイ坊地区昌邑市太堡庄の法輪功学習者・初立文さんは不法に5年の判決を言い渡され、不法にウェイ北刑務所に拘禁された。この家族は迫害により、一家離散した。話によると、初立文さんは現在すでに、刑務所内で行方不明になっているという。

 初立文さんは法を得る前、気性が激しいことで有名だった。97年に法輪大法の修煉を始めてからは改善され、一家はとても平穏な日々を送っていた。

 99年7月以後、初立文さんは現地で交流会を開催したため、新年をむかえる2日前に悪らつな警官に不法に連行され、留置所で三ヶ月間拘禁された。その後、不法に労働教養3年の判決を受けた。労働教養所では、初立文さんは残酷な迫害を受けた。初立文さんは、電撃棒による電気ショックや、吊るされたり、冷水をぶっかけられたり、寝かせてもらえないなど、たくさんの残虐な拷問を受け、多くの重労働を科せられた。

 初立文さんが労働教養所から家に帰った4ヵ月後の2003年8月11日、昌邑市610オフィスのリーダー陳暁東は部下を引き連れ、強引に家に入り込み、再び初立文さんを連行した。そして、初さんの家にあるテレビ、ビデオデッキ、録音テープと大法書籍などを没収した。初立文さんは不法に5年の懲役を言い渡され、ウェイ北刑務所に拘禁された。

 刑務所内では、初立文さんは悪らつな警官らに協力しなかったので、足を縛られ、そして警官らから同時に7本の高圧電流の流れる電撃棒で電撃された。

 初立文さんの息子・初慶華さんは、父が労働教養所に拘禁されていたときはまだ16歳だった。2005年3月、父に会うためウエイ北監獄に行ったが、昌邑市610オフィスのリーダー・陳暁東によってその場で取り押さえられ、双台鎮刑まで送られ、自白するよう強要された。そして不法に労働教養3年を言い渡され、王村労働教養所まで連行された。初慶華さんは迫害に抵抗するため、上の階から飛び降りたときに重傷を負った。その後、病院で肺の部分を切除した。

 初立文さんの妻は典型的な農村の女性だ。当地の悪らつな警官は不法に初立文さんを連行して家財を没収したので、二人の子どもは途中退学をしなければいけなくなり、生活の責任は全て彼女一人が背負わなければならなかった。また、警官は毎回家にきてかき乱し、彼女は耐え切れなくなり、2003年に家出した。1つの良い家庭は中共の迫害により、ばらばらになってしまった。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/7/26/134015.html