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大連の学習者王雲潔さんは馬三家労働教養所で心身を苦しめられ死亡(写真)


 文/大連大法弟子

 【明慧ネット2006年7月28日】遼寧省大連市の法輪功学習者・王雲潔さんは、2002年仕事中に連行されて、大連市公安局甘井子支局で不法な労働再教育を受けており、馬三家労働教養所に連行されて迫害を受け、悪徳警官達の残虐な体刑と様々な非人道的な虐待を受けた。その結果、乳房が潰爛し、悲惨で見ていられない。2006年7月に不幸にも亡くなった。

 以下の2枚の写真は、王雲潔さんが馬三家労働教養所で縛って吊される拷問と電撃の迫害を受けて、しばらく経ってから体の局部が潰爛した写真である。(児童と心理的に耐えられない読者は見ないでください) 写真一 || 写真二

 2002年5月14日午後3時、王雲潔さんが市場で買い物をしているとき、大連泡崖子派出所の2人の警官と2人の保安に強制的に連行された。夜12時には甘井子区の公安支局に連行され、不法に連行された他の10数人の法輪功学習者と一緒に数平方メートルの小さい鉄の部屋の中に閉じ込められた。翌日の朝、王雲潔さんは不法に姚家留置場に拘禁され、6月4日には馬三家労働教養所に連行され、これでやっと自分が不法に2年の労働再教育を言い渡されたことを知らされた。

 6月5日から11月中旬の5カ月あまりの間、王雲潔さんは悪徳警官・王暁峰(1大隊の大隊長)、悪徳警官・石宇などに苦しめられて迫害を受けており、衣服干し場で20日間強い日光に当てられ、そして強行に1日中暗くて湿度の高い便所の中に1カ月あまり閉じ込められ(朝4:30から夜12:00ごろまで、立たせる罰、しゃがむ罰)、引き続いて、また水の部屋、三角形の倉庫、地下室に合わせて約4カ月閉じ込められ、その体罰はますます重くなった。悪徳警官・石宇は、王雲潔さんの髪の毛をぐいっと捉えて、「あなたはすごいもんだ!花崗岩の頭だ!」と王雲潔さんを地面に蹴り倒した。

 2002年12月3日、遼寧省公安庁から一組のいわゆる「転向班」が来て、また1カ月近くの残酷な迫害を始めた。来たのは皆最も邪悪な男性の悪徳警官で、リーダーは孫副庁長で、元の本渓戒毒所の所長・郭鉄英もいた。1日目、王雲潔さんを一つの単独の部屋に閉じ込めて、2人の受刑者が監視し、眠らせず、強制的に壁の隅に立たせた。2日目は王雲潔さんの両手を後ろの椅子に手錠をはめて、夜になってからはまたヘルメットを頭にかぶせて、同時に棒と冷たい水を用意して、居眠りをしたら冷たい水をかけて、それから更に棒で力を入れてヘルメットを打ち、続く迫害はいっそう残忍だった。

 王雲潔さんの片方の乳房はすでに電撃され潰爛した。2人の悪徳警官は手に電気棒を持って彼女の乳房を電撃すると脅し、ひとしきり恐喝してから、また一晩立たせた。翌日の朝、悪徳警官・郭鉄英は王雲潔さんに一体誰についていくか問いつめた時、王さんは「大法の師父についていく」と答えた。郭は直ちに2人の悪質な警官と受刑者を呼んできて、シーツを引き裂いて、強行に王雲潔さんの両足を双盤させ、布で王さんの手、足をすべて縛り、そして頭と双足をしっかりとつなげて、ボールの形にして、それからまた手錠で両手を後ろにつるして手錠をかけた。長い時間縛られてつるされた結果、王雲潔さんはまっすぐ立って歩けなくなり、正常に坐ることができなかった。

 長期の苦難で、彼女の体は非常に衰弱したが、しかし分隊に帰ってからまだ彼女に働くように強制し、やるのはすべて紙花などの工芸品で、すべて外国に輸出するものだった。4カ月が過ぎて、また1大隊の2分隊に異動させられた。2カ月の後、馬三家労働教養所の悪徳警官は王雲潔さんの体がすでに支え切れないことに気づき、彼女があと2カ月の命と思って、慌ただしく家族に迎えに来させ、そして彼女のお姉さんに2000元のお金を要求した。彼女のお姉さんは「もうすぐ死ぬから、私は連れて行きたくないのに、まだ私にお金を出させるのか?」といった。

 大連の家に戻った後、馬三家労働教養所で深刻なダメージを受けたため、深刻な部位には潰爛が現れて、ますます重くなり、数日して不幸にも亡くなった。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/7/28/134203.html