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修煉に偶然なことはない


 文/台湾の大法弟子

 【明慧ネット2006年8月8日】数日前、会社の出張で私は県外での講習に参加したが、本当はあまり気が進まなかった。私は毎日の真相を伝えることに影響することを心配し、本職の仕事以外に、いろいろな活動などや講習に参加したくはなかった。

 私は会社の人事室で、休みを取って講習に参加しなくてもよいかどうかと尋ねたが、だめだという返事だった。数日経って、仕方なく参加した。帰り道の途中で、偶然にも県外の2人の同僚に出会い、しかも同郷の人であった。

 ここで私は気づいた。もともと、私がここへ来た目的は、この2人と会って縁を結ぶことだったのである。彼らは私に会うと、すぐに私の名前を呼んでくれた。なぜなら、私はいつもメールで彼らに真相を伝えていたからであるが、なかなか会う機会がなかった。今回の出張の機会に、私たちは互いについてより知ることができた。

 師父は、2006年『米国首都法会での説法』で、「師父の法身や、正の神、大法が世間で配置した巨大な場は、縁のある人、救い済度され得る人を各種の環境を利用して、あなたの前にやってくるようにし、その人に真相を知る機会を提供することができますが、皆さんはそれをしなければなりません。」とおっしゃった。

 私は、それらの縁のある人は、師父が各種の機会を利用して私に会わせるよう按排してくださっていると悟った。私たちは師父の按排してくださった道を乱さないようにしなければならない。もし特殊な按配がなければ、私のようなことも起こらない。私の会社はいつも講習を開催しているが、私に行くように言ったことはこれまでに一度もない。

 師父の按排がなければ、人のこの一面の現れとして、私を出張に行かせることもなかったであろう。修煉に偶然なことはなく、人為的に何かを変えようと思う必要はない。日常生活において遭った人、事、場所、物はすべて私たちが真相を伝えるために按排されたものであり、私はこれらの得がたい機縁を大切にし、衆生を救い再度する機会を失ってはならない。

 個人の体験であり、適切でないところは慈悲なるご指摘をお願いします。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/8/8/134965.html