日本明慧
■印刷版   

李光耀を召喚する要求が拒否され シンガポールの法輪功学習者は高等法廷へ上訴


 文/シンガポール大法弟子

 【明慧ネット2006年8月19日】2006年8月16日、シンガポール内閣顧問・リー・クァンユーと内政部長・黄根成たちに対する、出廷、及び証拠提供の要求が拒否されたのち、法輪功学習者の当事者はこの決定について高等法廷へ上訴し、上訴通知書はすでに受理された。これから、上訴した学習者は初級法廷の裁判官からの拒否の理由を待ち、それからその後の行動を決める。

 明慧ネットの報道によると、今年7月10日、シンガポールの警官は「許可なく集会した」という罪名で2005年10月22日と23日にシンガポールの繁華街で真相資料を配った法輪功学習者を告訴することを決定した。10月22日の案件は5人の学習者にかかわり、23日の活動は6人の学習者にかかわる。その内、2人の学習者は2日の活動とも参加したため、この2件の案件に関わる学習者は9人である。

 6人の案件の当事者である王宇一さんは、かつて7月28日に裁判官に内閣顧問・リー・クァンユーと内政部長・黄根成など6人の出廷、及び証拠提供の要求を提出した。それから8月7日、王宇一さんは法廷の手続きに従い、初級法廷に証人を召喚する申請を提出した。

 初級法廷の裁判官は召喚申請を拒否 しかし具体的な理由は出されてない

 筆者は王宇一さんに申請を手渡した情況について詳しく尋ねた。彼女は「裁判官は申請書をみるとすぐ拒否し、これらの証人は案件と関連がないと言った。その後、王さんは再度申請を提出し、その上要求に従い、召喚する一人一人の証人と案件とのかかわりについて説明した報告書を提出したが、また許可をもらえなかった。

 王宇一さんの記憶によると、最初裁判官はただ召喚する証人は10月23日に現場に現れたかどうか一々聞いた。王さんがなかったと答えると、裁判官はそしたら関連がないと言った。その時、王さんは裁判官に「事件に関わる証人は必ず現場に現れなければならないか」と質問すると、裁判官はそうでもないと言った。王さんは裁判官に暫くこの話題を離れて、先ず王さんの申請を細心に読むように依頼した。

 裁判官は詳細に読んだ後も、答えは依然として否定だった。然し理由をはっきりさせることを拒否した。王さんは裁判官の気がかりを見抜き「私の提出した理由があなたを信服できないからですか、それともこれらの人の身分と地位の特殊さがあなたを困らせるのですか?」と質問すると、裁判官は、シンガポール法廷は証人を召喚する申請を審査するとき、いままでずっとただ事実を見て、証人の身分と地位を考慮しないと答えてくれた。

 裁判官は最後に、私の申請を拒否したが、私が帰ってから報告を修正して再度提出することを許可した。然し私は、これは何ら実際の意義がないと思った。それは、彼女は如何なる具体的な評論も出さないのではなく、私もどこから改善すれば良いか知らなかったからである。 

 当事者は召喚の理由を簡単に述べる

 報告書での李光耀に関する部分について、当事者の王宇一さんは、法輪功学習者は長年警官と接触する中、常に彼から「私たちもあなた達を理解しているし、同情しているが、仕方ない。これは『上級』から押しつけられてきた任務だ。やらないと仕事を確保しにくい」などの話を聞いた。申請者はこの『上級』とは李光耀本人を含むと思い、そして彼が法廷で事実を明らかにする必要があると考えた。

 マスコミの報道によると、李光耀は長い間ずっと中国とシンガポールとの経済協力を強力に推進した。法輪功学習者に対して起訴した事件も往々にして彼本人と中共の高層との対話がしきりに密接なときだった。例えば、2004年の4月、2人の女性法輪功学習者は15カ月前の活動で訴状を受け取った。あの時期は李光耀と李顕龍が前後して中国を訪問し、マスコミも多くの計画中の経済協力を公表した。今回の起訴は中共の法輪功を迫害する610オフィスの頭目・李嵐清がシンガポールを訪問するこの時期に発生した。李嵐清が今回シンガポールを訪問したとき、国立大学の名誉学位を受け取ったことも李光耀が一手に手配したのだ。

 黄根成は今年1月23日と7月14日にマスコミを通じて、一部の法輪功学習者に対して行動をとる理由、計画と決心を公に表したからである。彼は「警官は法律と規律を維持するために、適切な行動をとる」と公言した。当事者は、それから発生したことは明らかに彼の計画中のことであり、彼は起訴の行動に直接画策した内政部の責任者であると思う。

 召喚するその他の証人はみな警察部隊と東陵警察署の警官であり、彼らはみなかつて当事者と直接接触したことがあり、一部の人は何回も接触したことがある。

 王宇一さんは「私が召喚する証人がもし全員法廷に出廷する場合、みなさんは、中共の歓心を買うために、按排されたこのような一つの起訴が如何に最高層の李光耀から、内政部を通じて、警察部隊行動局、東陵警察署まで、一級一級下達されたかをしることができる。もしなかのどこかの一環が欠けたら、このチェーンはもう完備しておらず、ストーリには漏れができるから、私は彼ら全員の出廷を主張している」と表した。

 「現在私は既に6人の証人の出廷を要求した。また2、3人くらい、昨年の10月23日に現場で任務を執行していた警官がある。私は申請を提出するために、まだ彼らの名前を得る方法を講じている」と王宇一さんは補充した。

 シンガポール歴史上一回目

 シンガポールの人権弁護士・ラ維(音読み)はこの事件について評論を発表し、「政治的要員を召喚するために、高等法廷に上訴することはシンガポール歴史上初めてである」と語った。

 王宇一さんは16日に「上訴通知書」を手渡すときも、類似する情況があったと言った。「カウンターの人は最初敢えて引き受けることが出なかった。彼女はこの部門で数十年間仕事をしており、そろそろ退職するが、初めてこのような申請を見たと言い、その後彼女は裁判官に報告をしてやっと許可を得た」。

 この現象について、王宇一さんは彼女の考えを述べた。彼女は「法律的内包は社会の公正を維持することである。司法手続きの規定もこの点を反映しないといけない。しかし長期に亘り、シンガポールはこのような一つの捻じ曲げられた司法環境に処し、人権迫害の事件に出会うと、弁護士のやりかたは通常告訴側に陳情して、できるだけ当事者に軽い判決を受けさせる。被告のために最後まで抗弁し、訴状を破産させる弁護士は少ない。時間が経つにつれて、法廷は駆け引きをする場所に変わり、正義を守る場所ではなくなった」。

 王さんはみんなに「私は、本来存在する司法の道はだんだんと人々に忘れられていることに気づいた。今日このような抗弁に直面して、私たちは一緒にあれらの私たちに本来賦与された司法権利を思い出し、利用すべきである」と注意を与えた。 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/8/19/135889.html