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法を実証の中で次元を高め、内を探しの中で修煉

 文/アイルランド大法弟子

【明慧ネット2006年8月17日】

 師父、こんにちは!皆さん、こんにちは!

 私はアンジェラ・マックフィーと言います。2003年から修煉を始めました。この交流文章を書くにあたって、とても困難を感じた時、師父が説かれた「大道は至簡至易である」を思い出して、自分は少なくとも師父が私たちによい贈り物をくださったことに感謝の気持ちを言うべきだと思った。

 初めて法輪功と出会ったのは土曜日にTemplebar1にある市場へ行く途中だった。その時、同修たちは中央銀行の前で美しい扇子の踊りを踊っていたところで、服装と踊りの美しさはなかなか忘れられず、もっと忘れられなかったのは、彼女たちが伝えた穏やかさと慈悲だった。私はこのエネルギーを発する人たちをもっと知りたいと思った。

 私はかつて積極的に園芸と医学を探求したことがあった。以前、背中の痛みを治すため暫くマッサージをしたこともあって、改めてヨガを始めようと思っていた。健康を保つために、私は健康食品のお店の常連客だった。

 修煉を始める一年前、私はタバコとお酒をやめて、足を柔らかにするには座禅がよいとして、まさに法輪功を修煉するために準備をしていたかのようだった。また一つとてもはっきりとした夢を見て、夢の中で私は自分の左手を看破することができた。

 修煉してから身体と生活に大きな変化が起こり、長年体内にたまったストレスがなくなり、マッサージをして緩和しなくてもよくなった。体はとても軽くなり、人と話す時にも集中して相手の話を聞けるようになり、よく笑うようになった。今、私の頭の中では、いつも人のことを先に考えている。修煉して暫く経って私はすでに法の力を感じ取った。大法は根本から私を変え、私の考えと生活の各方面に影響を与えて、生活はそれからすっかり変わった。

 ある寒い冬の朝、オコーナー大通りで煉功が終わって、自転車に乗って家に帰る時、法の力を感じた。まるで空中で自転車に乗っているようで、両足が踏板を踏むだけで、無限の力を感じ、今までなかった幸福感を体験した。

 法輪功を修煉することは、新しい世界へと通じる鍵をもらったみたいであった。ただこの道は修煉をしなければならない、修煉は苦しく、一人の修煉者としてとても難しく、自分を固め、制御しなければならない。法を勉強するのは自分がもっとよく行なうよう意志を絶えず強め、返本帰真の道へ導くのだ。

 メディアの仕事に参加し始めて、仕事では一体どのぐらいの修煉の要素が入っているか言葉では形容できない。これより難しいことはないだろうと感じていた。自分はとても弱いため、うっとうしく感じ、回避しようと思い付き、私の弱点を暴露してしまった。

 私はいつもほかに方法がないと感じ、事をどのように処理すべきかわからなかった。いつも自分がどうすべきか教えてくれる人はいないか、手本を見せてくれる人はいないかと聞く自分がいた。もちろん自分は内を探したとき、自分に方法がないのは、やっていることに集中していないからだ。やったことが自分の思うようになっていない時、また不平をこぼしてしまう。それは内を探しておらず、他人に慈悲で対応していないからだ。

 また修煉者として私達の言った言葉と話す態度はとても重要だと認識した。ひとつのマイナスの評論はとても悪い影響をもたらしてしまい、間違った判断をしたら必要のない魔難を引き起こしてしまうのだ。師父は「われわれが口を開いてものを言う時には、煉功者の心性に基づいて話しますので、人と人との間の和を損なうようなことは言いませんし、良くないことは言いません。修煉者として法の基準に基づいて、そのことを言うべきか否か、自ら判断するのです。言うべきことが法に照らして煉功者の心性の基準に合致すれば問題のないことです」と説かれた。

 やっていることが法に符合していない一人学習者を見たとき、たいへん驚いた。頭の中で多くの疑問を抱えて、しばらく経った後、内を探して、初めて以前に見た修煉者の行為は実は修煉者ではなく、彼のまだ修煉できていない執着心が現れてきたのだと認識できて、自分はもっとよく行なうべきだと思った。

 私の修煉の道で、もう一つとても重要なことがあった。新聞を配ることを手伝って欲しいと言われた時、手伝わなかったことだ。自分の態度はとても悪かったと思うが、それは自分に怠けの執着心があって、責任と義務を負いたくない反映だったことが分かった。

 内を探して、自分の不足を認識でき、その執着心を取り除いて、修煉の道でまた高まったと感じ、次元の高まるに従って、法に対する理解力も高まっていく。

 時には正念がない時、修煉の道で止まった時、歩んだ道を振りかえってみて、自分が修煉してからの大きな変化が見え、これからもっとよく行ないたいと思い、ああ、自分は修煉しているのだと自覚できるようになった。私は自分を放下できて、もう自分の時間がとても大切だと思うことがなくなった。

 でも消極的な執着心はまだ時々現れてきて、私は絶えずそれを取り除いている。絶えず修煉して、メディアの仕事に従事する中で、師父の助けの下で執着心を取り除きつつ、多くの同修を助け、修煉の道で更によく行ない、私たちが迷いの中で済度できるよう望んでいる。

 師父とみなさんに感謝します。

 (2006年アイルランド法会での発言原稿)

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/8/17/135727.html

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