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蘇用倫さん 湖南省チン州刑務所で迫害により死亡

 【明慧ネット2006年8月29日】湖南省常徳市の大法弟子・蘇用倫さんは自分の信仰を堅持したため、非合法に5年の刑罰をくだされ、湖南省チン州刑務所で迫害により生命が危篤状況になった。チン州刑務所は死亡責任を負うことを恐れて、2006年8月16日に蘇用倫さんを釈放した。蘇用倫さんは翌日冤罪が晴れないままこの世を去った。

 蘇用倫さん(蘇志平とも呼ぶ、男性、43歳)は湖南省常徳市鼎城区の人。大法を修煉する前B型肝炎、黄疸性の肝炎を患っていて、肉体労働に参加することができなかった。あちこちに行き、医者に治療を頼んでも完全に治せなかった。後になって、幸いに大法に巡り会い、法輪大法の修煉の道を歩き始めた。そして体は治療せずに治り、再び健康を得た。家庭の生活状況も良くなり、家族はみな幸せで円満だった。

 2004年の正月24日、北京へ陳情に行ったため、まだ心の話を言い出す前に、中共の陳情オフィスの邪悪なものらに連行されて、名も知らない宿泊所に送られた。そこで直接現地の公安人員に引き渡されて常徳へ戻され、非合法に常徳市鼎城第一留置場に監禁された。非合法に監禁されている間、常に悪辣な警官により野蛮に殴打され、「餃子包み、冷たい水かけ」などの拷問を受けた。非合法に二ヶ月間監禁された後、邪悪な警官は蘇さんの家族から現金1万元余を強請った後、彼を家に戻らせた。

 2004年9月20日の夜、すなわち邪党の凶悪な頭・羅幹が湖南省常徳に来て2日後、常徳市610オフィスの邪悪のものらは国安の警官とともに全市の大法弟子に対して、狂ったように大捜査を行った。鼎城区だけで7名の大法弟子が非合法に捕まえられた。当時、蘇用倫さんは自宅で休み中だったが、悪辣な警官と不法分子らはドアを壊して突入し、如何なる理由と法律的な手続きなしで、個人の民家に踏み込んできて強制的に蘇さんを連行した。

 蘇用倫さんは自分の信仰を放棄しなかったため、非合法に鼎城区第一留置場に9ヶ月間監禁され、公安は何回も罪名をでっち上げて検察院へ送ったが、検察院の胡検察官は証拠不足のため2回受け入れを拒否した。刑法300項目のどの項目にも符合しなかった。不法メンバーらはまた「法律実施を破壊の罪」をでっち上げ、強制的に彼に5年の刑を下し、蘇用倫さんを非合法にチン州刑務所へ監禁した。

 その間、蘇用倫さんの家族も長期に渡り中共邪悪分子らの洗脳、恐喝を受け、精神的に緊張してしまい、大法と大法弟子に対して抵抗感が生じ、一度も刑務所に行って見舞いしたことがなかった。聞くところによると、チン州刑務所に非合法に監禁されている間、蘇さんは毎日3時間あまりしか休めず、非常に重度の労働に従事させられ、非人道的な虐待を受けた。

 2006年8月7日に蘇用倫さんの家族は突然刑務所からの電話を受け取り、蘇さんの肝炎が再発し、病状が酷いと知らされた。蘇さんの妻と娘はこっそりと彼の見舞いに行ったが、まるっきり蘇さんを見分けられなかった。顔は蝋のように黄色く、骨と皮ばかりにやせこけて、腹はとても大きく、しゃべっても声が聞こえなく、自分で歩くことができず、2人が支えていた。このような情況でも側にはまた警官が監視していた。まさに1群の悪魔だった。彼の娘は声も立てずに泣きながら「お父さん、堅固になってください。死んではいけません。必ず生きてここを出てください……」と言った。蘇用倫さんは捕まえる前に、とても元気だった。

 チン州刑務所は人が刑務所の中で死亡することを恐れて、2006年8月16日に蘇用倫さんを常徳市鼎城区橋南派出所へ送り戻した。その後、派出所は住民委員会の人を通して、家族に彼を出迎えるようにした。翌日、蘇さんの家族は彼を病院へ送り、200余元を使って、化学検査をした。検査の結果がまだ出てない、17日(当日)蘇さんは午後2時頃この世を去った。

 悪辣な警官の恐喝の下で、住民委員会は最低生活保障(都市により月にもらえる金額が違う、)を条件で彼の家族に上訴しないこと、言いふらさないこと、親友に特に同修に追悼に参加させないように誘惑した。蘇用倫さんはこうして人が追悼に来なかった冷たい家でまた一夜過ごし、その翌日早く、いい加減に火葬された。

 いわゆる法律で国を治めるこの国で、チン州刑務所は残酷にも1人の若い生命を迫害して死亡させたが、このように人命事件から楽に逃げてしまった。これがまさか胡××がでたらめにいう調和がとれた社会の現われなのか?道義上許されない!善悪には必ず報いがある!

 関係箇所の電話番号などは省略(詳細は明慧ネットの中文を参照)

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/8/29/136626.html