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自分が大法の中の一員になったことに深く誉れを感じる


 文/雲南法輪功学習者 浄蓮

 【明慧ネット2006年9月4日】1999年旧暦の3月2日は私にとって一生忘れられない日である。私はこの日法を得てから2日目に、煉功点に行って集団煉功に参加した。

 初日に煉功点に行って集団煉功に参加すると、煉功点の古い学習者は熱心に根気良く動作を教えてくれ、私はまるで実家に戻ったような感じだった。2日目の煉功が終わると、1人の学習者が近寄ってきて、明日の交流会に参加しませんかと誘ってくれた。この交流会は偉大な師父のお誕生日を祝うためのもので、しかも雲南省では、はじめての交流会だと聞いた。私はみながとても喜んでいる姿を目にした。このような盛会に参加する縁があって、私は当然参加したいと思い、翌日、朝5時に集合して出発する約束をした。

 翌日私たちは早くサッカー場についた。6時ちょっと過ぎたときだったが、四方八方から集まってきた学習者が既に多くいた。彼らは私たちよりも早く来ていた。聞いたところ、一部は前日の夜出発して、この盛会に参加しに来ていた。みなはこれほど自発的で、積極的なのか!これは本当に私を驚かせた。

 会場内では法輪大法の音楽が流れていた。すべての学習者はみなきちんと、各自の位置で静かに第二セットの功法を練習していた。私たちも煉功に参加した。会場の雰囲気は正に人を感動させた。少しも騒がず、体はとても心地よく感じた。

 朝8時に、組織委員会の係り員が大会の開始を宣言すると、サッカー場全体の同修2万人あまりの人が直ちに地面に座り、たちまちひっそりと静まり返った。演壇の係り員は、師父は会場に臨席することはできないが、私たち雲南の法輪功学習者一同は偉大なる師父の誕生日をお祝いしましょうと宣言した。続いて弟子たちは順番に演壇に上がり、大法を学んだ後の体験談を発表した。発表する同修は多かった。エンジニア、教師、医療関係者、工場労働者、農民、学生……、若い人、老人もいた。みな大法で自分を照らし、自分の法に対する認識、個人の向上、学法して、実際に修めた後、自分の足りないところを見つけ出した体験と、如何に修煉の中で自分を変えてきたかについて語った。これは修煉の門に入ったばかりの私にとって、素晴らしい見聞を広めることになった。今回の交流会は、私の修煉と向上にとても大きな励ましとなった。まさに師父の『洪吟』(実修)に書かれているように「学法得法、比学比修、事事対照、做到是修」(法を学んで法を得る 学んで比し修して比す 事々く対照し、做すところ到るは是れ修)だった。

 この日は雲はなく、春だが、焼けつくような日差しだった。しかしわれわれ会場の法輪功学習者は慈悲で、偉大なる師父の加護の下で誰一人暑いと感じなかった。激しい日差しで私達の皮膚は黒く焼けたが、私達はいつもひとしきりの涼しい風が吹いていると感じて、とても心地よく、昼食をする時間も自分の座席を離れなかった。朝から夜までだったが、少しも疲れを感じなかった。

 天目が開いた古い弟子は、師父の大法身が私達のために場を守っていらっしゃると語った。まさに非常に不思議だった。師父は私たちのためにずいぶん苦労をされた。まさに師父の説かれたようにあなたが真に修めれば、師父はあなたに対して責任を負うということだった。われわれ会場のすべての法輪功学習者は師父に対する正しい信念によって、師父の教えてくださった「真善忍」の教えに従い、よい人になり、最大限に常人に符合して修煉し、少しずつ向上していく。そして大会が解散を宣言したのち、それほど多くの人がいたが、少しの乱れもなく、順序良く会場から退出した。

 私が感動したもう一つのことは、2万人あまりの人が集まった集会だったが、解散後、会場にはなんと少しのごみもないということだった。各自が自発的に自分の周りのごみを袋に入れて、会場から持ち出し、ごみ箱に入れた。サッカー場はだれも人が来たことのないようだった。正に不思議だった!会場の法輪功学習者に対する師父の加護により、私たちは良い人より更に良い人になる。私は大法の中の一員になったことを深く誉れに感じた。

 私は師父に会ったことはないが、師父と大法を深く信じている。私は常に師父は私の心の中にいらっしゃると感じている。今後私は必ず自分の歩むべき路をしっかり歩み、師父について自分の家に帰る。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/4/137058.html