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マンハッタンで真相を説明する体験


 文/ニュージャージー真相説明チーム

 【明慧ネット2006年3月30日】2004年7月、ニューヨーク、ニュージャージー、フィラデルフィア、ワシントンおよび世界中の大法弟子が師父と大法に対する尊敬、師父の教えを覚えて、衆生を済度する重い責任を背負って、この世界で最も重要な都市に集まり、大法弟子が大法を証明し、自分を修煉する新しい一ページを捲った。1年半の間に、それぞれの大法弟子が自分なりに努力し、神への道のりの上で、修煉でもっと成熟し、同時に自分の威徳を樹立した。

 ここで我々Bergen Countyのチームがこの間もっとも深く感じた点を書き出してみなさんと交流したいと思います。

 1、マンハッタンは大法弟子が人々を済度するよい場所である

 最初、真相を説明するとき、一部の学習者は簡単だと思っていた。なぜならアメリカは自由、民主を重んじる国で、アメリカ人の多くが信仰をもち、彼らは良し悪し、正邪を区別できる。ニューヨーク主流社会のボスたち、管理職とホワイトカラーが厳しい競争(ここの環境が作った)をし、中共邪悪が法輪功を弾圧して6年過ぎたが、彼らは法輪功と接触するチャンスがなかった。まして我々と直接あって真相を聞くこともなかった。だから彼らが我々に冷淡なのは不思議ではない。我々が彼らにチャンスをあげれば、彼らはきっとわかるし、変わるだろうと思っていた。

 しかし、実際はそうではなかった。彼らが必ず通る通路には大きい看板があり、学習者が拷問で迫害されている写真がいつでも彼らの目に入る、本当の人間による拷問の実演が道端で行なわれていても、彼らの一部の人は頭さえ上げなかった。学習者が「法輪功の真相を知ってください」と挨拶し、カラフルなビラを差し出しても、彼らは礼儀正しく微笑んで、そして手を振って「ありがとう」と言った。多くの場合は、片手にコーヒー、片手に携帯、脇下に厚い新聞や文書ファイルを抱え、なにかをしゃべりながら、足早に、あなたにこういう「邪魔しないで!」。時間がたつと、学習者の間に疑問が沸いた。これらの人々はどうしたのか? 人類に起きている残酷な迫害に目もくれず、こんなに麻痺している。真相を説明する熱情に水をかけられ、冷静になった、事は簡単ではないようだった。

 マンハッタンは世界の「金融センター」で世界経済が集まるところである。そこに集まっている人は特別で、その環境も特別だった。これらの特殊性から、宇宙の旧勢力がここに集まり、マンハッタンの人々が真相を知るのを阻んでいる、人間界でもっとも邪悪な中共の集団もここを利用して人々を騙している。

 師父が我々をここに按排し、我々にこのような人々を済度するよい場所を与えてくださった。これらの冷淡な人々に対して、私は思った、師父の洪大な慈悲がなければ、もし我々まで無視すれば、彼らには未来があるのだろうか? もし我々が慈悲をもって彼らに接しなければ、師父は我々をニューヨークに来させて、なにをしようとするのか? 我々が「マンハッタン人が冷たい」という執着心を放棄し、自己のいかなる観念にもこだわらず、マンハッタンの衆生を済度することを首位におき、平和な心で真相を説明すべきである。

 このように、だれであれ、我々が慈悲をもって接し、なんでもありのマンハッタンに対して、表面的なものだけを見ないで、個人の観念で良し悪しを判断しないことができた。長い髪で顔にひげがいっぱいの男性がきても避けないし、腹にリングを下げてわざと外だししている少女をみたときも、彼女たちを軽視しないで、彼らを救うことがなにより重要である。「一人の生命、一つの物体、皆この大法のためにやってきており、この大法のために成り立ち、造られたのです」(『2004年ワシントンDC法会での説法』)を覚えて、衆生を済度するとき、意識しているかどうかにかかわらず、人を等級にわけて区別する心を持たないようにした。

 マンハッタンの人々が徐々に法輪功の真相を知り、中共の邪悪な本質が残酷に法輪功を迫害していることを理解でき、我々に対する態度も変化した。ある黒人が礼儀正しくある学習者の前にきて、我々が彼にあげた資料を読んで、我々が言っていることが真実だと信じた。彼の会社に何人かの中国人の同僚がいて、よく彼に法輪功の悪口を言った。彼らは本当に共産党にひどく洗脳されていた。彼が我々に数冊の『九評共産党』をもらい、彼の中国人の同僚の机の上におき、彼らに共産党とはどんなものかを知ってもらうと表明した。「いまは21世紀だ、地球の向こう側にこのような残酷な事情が起きているとは考えられない!」その後、彼はペンをとって署名し、学習者にこういった「あなたたちの行動は非常に高尚だ、私は全力であなたたちを支持します、あなたたちの成功を祈ります!」我々は彼が真相を知ったことを喜び、そしてまだ共産党に洗脳されている中国人を心配した。

 真相説明は我々が「大法弟子にとって真相を伝えることは、皆さんという今日の修煉者の特殊な修煉方式であると思います」(『2004年シカゴ法会での説法』)、真相説明の中で我々は慈悲心がでて、もっと理性と知恵をもつようになった。

 感謝祭のときのニューヨークは非常ににぎやかだった、全米各地や世界中からの観光客は、我々が真相を説明しているブロードウエーストリートやタイムスクエアで散歩するのが好きだった。とくに選抜でパレードにきた学生達はそうだった。彼らの反拷問展に対する反応は鈍いと学習者が発見した。表面的には彼らは子供だが、しかし今日彼らが我々の前に現れたのは遊びではない、彼らは真相を知るためにきた、彼らをそのまま行かせてはならない!そして、ある学習者がすぐにリーダーの先生のような男性に向かって大きな声で聞いた「ハーイ!あなたたちは中国でなにが起きているか知っていますか?」その男性が聞いてきた「なにがおきたの?」学習者が真相を説明し始めた、その間男性が質問し、学習者が真剣に回答した。先生の態度が子供たちに影響し、子供達もそれぞれ質問した。学習者が同じく真剣にすべての問題に答えた。子供たちは明らかに驚いた、それから自主的に列に並んで署名した。学習者が彼らに中国語を教えた「法輪大法好(法輪大法がすばらしい)」、子供たちも「法輪大法好」と続いた。

 二、マンハッタンで真相を説明することは、大法弟子が自分を修煉するよいチャンス

 マンハッタンで真相を説明する中で、我々ニュージャージーの学習者が主に通行人に真相を説明し、彼らの質問に答え、さらに反拷問の署名事項を担当していた。ある学習者は英語がうまく、表現力もあり、彼の周りにはよく人々が囲んで真相を聞いていた。彼らも自然に通行人を引き付けて我々の反迫害に支持するための署名をした。これらの学習者がお互いに対面して真相を説明することは、非常によい効果をもたらした。

 ある日、ある普段非常に健康な学習者が突然病業状態に入り、熱が出て、寒がり、めまいがした。彼は昔の経験では、法をよく学び、煉功し、正念を発し、旧勢力の按排と邪魔を否定すれば、数日で大丈夫と思った。しかし今回は明らかに違っていた。この学習者がもっと法を勉強し、煉功して、発正念して1週間が経ってもまったく変化なかった。彼はもっと努力して、邪悪の邪魔を排除しようとしたが1カ月経っても同じだった、夜寝ることもできず、半分寝て半分座って朝を迎えていた。彼は内に向かって探して、早く自分の執着を取り除こうとしたが、見つからず、なぜとずっと考えていた。

 自分の執着が見つからず、毎日病業の体で忙しく、法を証明することもままならない。長くすると、体も心も疲れて、苦しくなり、この学習者の心が揺れた、法を学ぶことも煉功も発正念も落ち着かなくなり、知らず知らずに落ち込む状態に入り、このようにして2カ月経って、彼がやっと事態の重さに気づいた。

 ニューヨークに降った大雪は、彼に丸一日法を学ぶ時間を与えてくれた。法を学んでいるうちに、彼の目は師父のある説法の上でとまった「執着のことですが、それを表す学習者がおり、表さない学習者もいます。心の中に秘めてありますが、執着してたまりません。最後になってそれを解すこともできなくなります。邪悪はあなたをますますおかしくし、大きな挫折を味わせ、一生忘れないほどの挫折を味わせています」(『2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説』)。

 彼は自分を省みて、急にわかり、自分の執着を見つけた。自分の今の状態がまさに師父がいわれたように、自分の執着を軽視して、長く真剣に対応せず、時間がたつにつれて、自分の執着さえ忘れていた。

 マンハッタンで真相を説明してから、彼は自分がいかにうまく真相を説明できたかについて、よく他人のほめ言葉を聴いた。とくにほかの地域の同修がこういった、「北米の同修はすばらしい、能力があって、一人で数人の仕事ができる」。これらのほめ言葉を聴いて、自分をみて、自分が本当にそうだと思って、歓喜心が出ていた。歓喜心に支配され、自分が修煉者であることを忘れていた、師父の教え「修煉の他の方面と過程の中でも、歓喜心が生じないように気をつけてください。この心は非常に魔に利用されやすいのです」(『転法輪』)を忘れていた。このとき、自分が数年間の修煉にも拘わらず、名利情への根本的な執着が依然あることを意識できた。修煉は厳粛で、慢心ができない、たとえ真相をよく説明しても自分をしっかり修煉しなければいけない。

 このような個人修煉の基礎の試練がマンハッタンでの真相説明活動がしばらく進行してからあきらかになった。学習者たちは長期間の緊張で忙しいマンハッタンでの真相説明の中で、落ち着いて法を学ぶことができない。正念が強くなく、眠い、あるいは毎日の緊張と忙しさだけに満足して、それを「精進」とみなした。実質は修煉している状態でなく、仕事を修煉と混乱していた。

 我々みんな法を学ぶことの重要性を知っている、みんな自分の都合で毎日どのくらい法を学ぶかを決めている。しかし、ときどき知らずに法を学ぶことを任務として完成するようにして、どのくらい読み込んでいたかは重要視しなかった。ときどき、無意識的に学法、煉功、発正念を自分の個人的な魔難を取り除く方法としていた。よく考えると自分も長く真剣に学法、煉功、発正念をしていなかった、そして急いで集中補習した。その目的はやはり魔難と邪魔を取り除くためだった。そのやり方はまったく間違っているとはいわないが、しかし、それで法を学ぶ要素の中に不正な要素を含んでいる、まず大法を利用すること、それに学法に求める心がある。学法を、魔難を取り除く手段としていて、本当の修煉ではない、それも師父と大法に対する不敬である。師父が絶えず我々に法を学ぶことを説いておられるが、その目的は我々が「法の中に溶け込む」、「大法に同化」すること、大法で執着をなくし、大法で観念をなくし、私たちを円満に導くのである。もし我々が本当に法に溶け込むのであれば、邪悪が我々に近づけるだろうか?

 法を正すにつれ、大法弟子がやるべきことがもっと多くなり、多くのことが重なって、人手がいくらあっても足りない。みんなわかっている、大法のことで、こちらが重要であちらは重要でないということはない、みんな重要で、みんなやるべきで、しかもよくやるべきである。

 拷問展では、ときどき一人しかいなくて、代わりはなく、寒い冬に学習者は冷たい籠の中で最初から最後までいた、トイレにいく時間もなかった。数年来、ネット上で大法弟子が自分の信仰のために拷問と侮辱をうけているのをみて、これは我々海外の大法弟子がもっとよくやるべきだと激励している。自分が寒く感じるとき、摂氏零下10—20度の気温の中で大法弟子が雪の中に埋められ、木に縛られ、さらに悪徳警官に水をかけられるのを考えると、自分の寒い感覚が急に消えた。このように考えて、5時間が一瞬のようにあっという間に過ぎた。

 マンハッタンの42番街では、どんなときも人が絶えず往来している。通行人の関心に拷問展の学習者が自分の責任を感じていた。しかし、ダウンタウンでは状況が違っていた、とくに寒い風が吹いているとき、1—2時間座ってもだれも見ないときがあった。そのとき心では我々の犠牲には本当に意味があるのか?と反複したりした、

 こういうとき、心の中で師父を思い出した。師父はこう言われた「わたしは無数の苦をなめても、苦しく思ったことはないのに、皆さんにはまだ何か放下できないものがあるのだろうか?」(『精進要旨・真修』)。私にはまだなにか捨てられないのだろうか? 通行人の数を気にするのだろうか? 他人のために修煉しているのだろうか?

 マンハッタンで真相を説明している中で、我々はエゴの心を徐々に取り除き、徐々にどんなときも心が動揺しないようになる。

 (2006年ニューヨーク法輪大法修煉心得交流会発言原稿)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/3/30/124047.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/4/13/71905.html