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いかなる考えも法に基づくべきである


 文/大陸の大法弟子

 【明慧ネット2006年10月3日】今回の機会を借りて、自分の修煉体験を皆さんと分け合い、法理に基づいて検討したいと思いますが、同修の慈悲なるご指摘をいただければと思います。

 常人の技術に執着して

 私は若い女性大法弟子です。大学を卒業後、ある内装会社に就職しましたが、長い間自分を大法弟子と見なすことができず、常人社会の中で、名・利のために争ったり、戦ったりしていました。師父は『転法輪』の中で「いったんまわりから抜きん出ると、名利に惑わされやすいのです。彼は、人生のこれからの道のりが長いから、何らかの常人の目標に達するためにまだ頑張らないといけないと考えています。」と書かれています。当時は完全に自分を常人と同じようにはかり、修煉者の心性からはどんどん遠ざかっていました。

 旧勢力の按配を否定し、他空間の魔を一掃する

 法理に基づいて認識できなかったために、長い間常人の技術に執着していました。職場に居ても離れても、常人の知識を介して常人社会の名利を手に入れようと思いました。法の勉強も形式だけで、気持ちを沈めて行うことができませんでした。煉功も毎日はできず、発正念も足りず、真相を伝えることも効果が良くありませんでした。当時は完全に常人の次元に落ちてしまい、旧勢力に隙に付け入られてしまいました。

 ある日の夜、突然歯が激しく痛み出しました。余りの痛さで昏迷状態になり、頭は鉄でできたように重かったのです。朝起きると、顎が3センチほど腫れていました。そこで、師父そして大法、発正念を思い出しました。母は師父の言葉「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」を引用して私を励ましてくれましたが、その言葉の文字は私の目の前にリアルに浮かんできました。それは恐らく師父が私を悟らせるために見せてくださったと思います。その後煉功(座禅)をしましたが、顎は痛くはなく、痺れと痒みを感じました。煉功した後、法の勉強もしました。

 夜が訪れると、またも激しい痛みが襲ってきました。私は座禅を組んで、右手を立てて発正念をしたら、他空間の鬼の頭が見えました。それは髪を振り乱し、目も白目だったのですが、発正念をするとすぐに消されてしまいました。

 その後、ある日夢を見ましたが、夢の中で私はある店で朝飯を食べていました。火のストーブの隣に自分と同年代の女の子が座っていました。彼女は新しい鞄を手に持って、それを火の中に入れて、その場を去りました。私は呆然としながらも彼女はどうして新しい鞄を燃やしたのだろう、と理解に苦しんでいました。その後自分も重い鞄を背負って店を去りました。夢から覚めて、ずっとこのことを考えていましたが、突然意味が分かりました。その「鞄」は私が常人社会の中で背負っている重い「鞄」ではありませんか? 口では「自然に任せる、常人社会の状態に合わせる」と言っていますが、大法弟子に相応しくないものを求める執着があることこそが、本当のことではありませんか? その執着は益々重くなり、旧勢力もそれを掴んで、私を迫害しようとしているのではありませんか? 師父は夢を使って私に悟らせて下さったのです。私は無駄にした日々のことを後悔して、師父から授かった正法の使命を裏切ったと気づきました。

 師父は、「皆さんが修煉の過程でなし遂げたすべてはすでに皆さんの未来の極めて素晴らしく、神聖なる果位を成就させたのだ。一歩一歩をしっかりと歩もう。自ら証明し、得たすべてを汚さぬようにしよう。修煉によってできたその部分からさらなる純正な輝きを放たせよう。」(『精進要旨(二)』「最後の執着を取り除こう」)と書かれており、それを読んだ私は、自分が怠っていた、大法弟子としての三つのことを遂行し、自らの使命を果たそうと決心しました。

 しばらくすると、体の具合が良くなっただけではなく、それまでにない軽さを感じました。私は涙をこぼして、師父への感謝の気持ちで胸いっぱいでした。

 適切な仕事、修煉環境

 私は師父の度重なる教えでやっと自分の根本的執着に気づき、法理ではかってそれを除去することができました。その後、自分に合う仕事を見つけることができ、修煉環境も好転しました。今は、毎日一講の勉強ができ、インターネットにアクセスして、常人社会で得た知識で大法の仕事もできるようになりました。法の勉強、発正念、真相を伝えることをしている中、自分の昇華もありました。ある日、私は自分が功柱に座って、どんどん上に突破していくのを見ました。それには言葉に表現できない玄妙さがありました。さらに、法理に対する理解も高まってきて、同修との交流で正法の緊迫さと学法の重要さを改めて感じるようになりました。師父は大法弟子を一人も見捨てたくはなく、この環境の中での心性の向上のために、すべてを按配してくださっているので、私たちもそれを裏切ってはいけません。

 この文章を書いたもう一つの目的は、私と同じように常人社会に執着している同修に呼びかけることです。宇宙の未来を背負う私たちには重大な使命があるのですから、自分たちのいかなる考えも大法の基準で要求し、師父とともに本当の家に帰りましょう。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/10/3/139204.html