日本明慧
■印刷版   

法輪功学習者が河北省ライ水県の公安局に殴打、拷問された経歴


 文/ライ水県の法輪功学習者

 【明慧ネット2006年7月4日】1999年7.20に中共の江沢民集団が法輪功と法輪功学習者の残酷な迫害を始めて以来、私は国内のすべての法輪功学習者たちと同様、何度も地元の悪人に不法に拘束され、騙され、財産を奪われ、家を荒らされ、たびたび地元の政府の役所まで行くよう騙された。そこに行くと多いときは20数日間、少ないときは十日間から15日間家に戻れず、食事は家の人が持ってこなくてはならず、寝るときやトイレに行くときも人がついて来た。

 2000年3月の人民代表会議の期間中、憲法が国民に与えている陳情の権利を利用して私と夫は北京に陳情し、法輪功の真相を話しに行った。そこに着くと、たくさんの人達がいた。後で知ったが、この人たちはみな公安の私服警官で、陳情しに来た法輪功学習者を捕まえるために待機していたという。私たちが歩いているうちに私服警官たちが来て、法輪功学習者かどうか聞いてきた。私たちが「そうです」と答えると、彼らはすぐに私たちを強制的に車に乗せた。ある旅館に連れて行かれ、身分証と400元あまりのお金はすべて取られた。その後、ライ水県鎮政府と村の幹部に連れ戻され、鎮政府の悪らつな者たちは私たちにひどく暴行を加え(すべての北京に陳情しに来た法輪功学習者は不法に連行されたあと、地方の鎮政府に連れ戻され、その後地方の鎮政府によって迫害された)、15日間不法に拘留された後やっと家に返された。

 この理性のない迫害に直面し、2000年4月、私は再び北京に陳情に行ったが、凶悪な警察に「天安門派出所」まで連行された。そこで手と腕を縛られ、痛くて汗が次々と流れ落ちて地面がぬれた。凶悪な警察は絶えずきつく縛りつけ、私が痛みで気を失って地面に倒れた後やっと縛るのをやめた。両手とも黒くなり、動かせず、感覚を失った。

 その後、私はライ水県の中共党校まで送られて強制的に洗脳を受けた。そこにはすでに70人あまりの法輪功学習者が迫害を受けていて、人を殴る音、悲惨なうめき声が絶えず聞こえてきた。迫害されてまともに歩けない法輪功学習者、目と顔が青く腫れあがっている学習者、髪の毛が荒れて唇にいくつもの水ぶくれが出来ている(たばこでやけどさせられた)学習者などがいた。法輪功学習者を「転向」させるため、悪人は一度に縄を1000本も買い、数日で使い終えた。その後、電気コードで鞭を作って法輪功学習者を打った。打たれて太ももから下が真っ黒になり、手で触れると石のように硬くなっている学習者もいた。邪悪な者たちは私をコンクリートの床に押し付け、頭とひざを地面につけた状態で、いすの脚で太ももとでん部を叩かれ、数ヵ月たっても腿とでん部の筋肉は硬いままだった。彼らは私のベルトをはずして、上半身裸にさせて私のベルトで背中を打ち、十数日たっても痛くて仰向けに寝ることができなかった。

 2000年7月、私は鎮政府に数日間不法に拘留された後、ライ水県拘留所に移された。そこで40日間不法に拘留され、やっとそこを出るとすぐにまたライ水県中共党校に入れられた。党校で40日間拷問、殴打、怒鳴りつける、身体の自由の制限などの拷問を受けつくし、毎日中共が造りだした恐怖の中で生活していた。

 2000年8月にライ水県留置場に移され、20日あまり不法に拘留された後、悪名高い高陽労働教養所で不法に迫害を受けた。2001年4月に家に戻ったときには、人々は私を判別できなかった。長期にわたる労役で私の皮膚はとても黒くなり、飢餓で痩せこけて顔が細くなったからである。

 家に戻って40日後、私は再びライ水県公安局により、何の理由もなくライ水県留置場に入れられた。4ヵ月あまり経った後、また何の理由もなく私を保定労働教養所に拘留した。そこでも「転向」しないものは死人ベッドに寝かせられた。この種の拷問は邪悪極まりなく、寝かされたあとは痛みのあまり大粒の汗が絶えず滴り落ち、苦しみのあまり一秒が一年のようだった。法輪功学習者は28日間この死人ベッドで拷問され、その後も十数日間鉄の門に吊るされた。凶悪な警官は笑いながら「これもおまえたちのためだ」と言った。このようなことは本当に共産党の邪悪な輩しかできない。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/7/4/132152.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/7/19/75657.html