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口を修め執着心を取り除く


 文/北京の大法弟子

 【明慧ネット2006年6月25日】修煉や仕事、日常生活において、よく口を修める問題にぶつかります。どんな事や問題に遇っても、大法弟子として言うべきか、如何に対処するかというのは、すべておろそかにできないことなのです。大法弟子の不注意な一言で大法や同修に損失をもたらしてしまいがちです。

 私は天目が閉じたまま修煉していますので、常に師父が悟らせてくださることで初めて法理を理解し、精進できるようになったのです。しかし、口を修めることにおいて、いつも良くできていなかったせいで、同修に損失をもたらしてしまいました。

 ある日、同修のAさんが真相の標語を貼るのを見かけました。そして、同修のBさん(修煉にあまり励んでいない)が私に誰がこの標語を貼ったかと聞いた時、私は見たとおりに答えました。結局、噂がこのまま広まっていきました。その後、同修Aさんは資料を送った時、悪人に告発されてしまいました。師父の慈悲なるご加護によって捕まらなかったのですが、悪人らに監視や尾行をされ、迫害されたのです。そして、彼らはもっと多くの学習者を誘い出そうと狙ったのです。大法弟子たちはこれを知り、直ちに全体で正念を発し、世人に真相を語りこの困難を乗り越えました。その後、大法の交流会が開かれた時、再び悪人に告発され、同修Aさんは連行されました。師父の慈悲なるご加護と、自らの正念正行と同時に大法弟子たちは正念を発し続けました。こうして、4日間拘留された後、無事に拘留所から出てきました。

 以前は、私はいつも口を修めることについて漠然としていましたが、この事件を通じて油断大敵であると実感しました。師父は『転法輪』において「問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人に傷をつけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません」とおっしゃいました。

 私はいつも自分の心が純粋であれば、何の問題もないと思い込んでいました。従って、普段「三つの事」においても口を修めることはしませんでした。特に真相を語ることにおいて、伝えに出かけて帰った後、よく顕示心に駆られて、ほらを吹きました。明くる日に行かなかったら、また恐怖心や安逸心が生じてしまいました。毎日もし時間ごとの定刻に正念を発せば邪悪が私を掴むことはできないと思っていました。これはなんと大きな漏れだったのでしょう。大法弟子は修煉者であり、衆生を救い済度することで師の正法を手伝うのです。顕示心などの執着心に駆られ、口を修めず大法に損失をもたらすべきではありません。

 事件の後、最初私は自分のことを責めずに、他人の心性が低くて口を修めなかったせいだと思っていました。漏れができたため、邪悪はこの機会を利用して私を妨害し、この執着心を膨らませてしまいました。こうした状態は仕事にも影響を及ぼしました。師父は、仕事は修煉ではないものの、修煉を反映しているとおっしゃっています。そして、仕事において、顕示心や歓喜心、闘争心、利己心などの執着心が表れた時、まったく常人のように口を修めないで争いに巻き込まれてしまいました。結局、常人に訴えられるはめになりました。

 慈悲なる師父に二度も加護され、私は新しい仕事に就いたのです。今度の仕事においても、私は執着心で口を修められず、再び常人に訴えられました。今度こそ私は他の人を怨まず、真剣に自省したことによってたくさんの執着心を見つけました。心から「私が悪かったのです。私は厳格に大法弟子の修煉の要求に応じていなかったのです。これは漏れでした」と思いました。

 そして、執着心を見つけた私の心は次第に明朗になり、一念発起してこれを書き出したのです。邪悪の妨害や迫害を許さず、一気に書き上げました。不適切な所は、慈悲なるご指摘をお願いします。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/6/25/131333.html