■日本明慧 http://jp.minghui.org/2006/10/14/mh150913.html 



「私」に関する私の認識

 【明慧ネット2006年9月14日】先に、私たち大法弟子と宇宙の衆生における師父の救い済度に感謝し、私たち大法弟子と衆生のために苦難を嘗められた師父に感謝いたします。 世の中にもっと素晴しい言語がない理由で師父への感謝の気持ちを表現できません。

 私は1997年に法に出会い、師父の加護下で一歩一歩と今まで歩んで来た。修練の過程で、私は個人修練から法を伝え、1999年の7.20以後の反迫害、法の実証、真相を伝え、真相資料を作って、今日まで歩んで来た。この数年間を振り返えて見ると、「私」について更に深く認識できて来た。

 当初の個人修練の段階で私たちは様々な心を捨てなければならない。 例えば、名、利、情、色、歓喜心、嫉妬心、闘争心、私心、怯える心、疑心などがあり、これらの心はその執着内容がそれぞれ異なるが、実は共通の特徴があることを私は見出した。これらの「心」、これらの執着は、表面的には異なる「心」、異なる執着であるが、細かくこれらの異なる心、異なる執着を考えて見ると「私」という共通の特徴がある。

 私はこの「私」という共通の特徴を発見してから、家庭で、社会で、仕事で、様々な環境で、あらゆる現象で、今後するべき三件の事で、同修との交流で、トラブルの中で、全てにこの共通の特徴「私」が存在し:心は異なるが「私」は共通、異なる現象であるが「私」が共通、問題が異なるが「私」が共通、できごとが異なるが「私」が共通、あらゆる所に「私」が存在することから「私」を修め捨てなければならない重要性を悟った。

 私は更に師父の説法中の多くの法を思い出した。師父は「精進要旨—佛性にもれなし」の中で「更に皆さんに教えますが、実は皆さんの以前の本性は、自らの為、私の為を基にしたものだったのだが、今後何かをする時には、まず他人の事を配慮し、無私無我で、なおかつ他人を先に自分を後にするという正覚にまで修煉しなければなりません」。

 師父は「2004年米国西部での説法」で「私の為は過去の宇宙の根本属性」とおっしゃった。師父は「北米巡回説法」で「人類は何ものでもなく、ただ旧勢力が彼らを利用して、皆さんの更なる大きな能力を封じ込めているに過ぎません」とおっしゃっている。

 旧勢力は何を使って我らを封じ込めるだろう?私は、旧宇宙の属性、ミクロ的な一層一層の「私」が我ら大法弟子の能力を封じ込んでいることを悟った。封じ込められても隙間の内包があり、我らのもっと大きな能力の本源は何たろうか?本源は、我らの正しく修めた法と正念であり、法があるからこそ我らの能力がある。それ故、旧勢力が我らの能力を封じ込もうとした時、既に修め終わった我らの正念部分を封じ込め、表面と隔離するのではないか?新宇宙の生命に修められたいなら、必ず私心がない正覚を修めなければならない。

 大法が成就した生命は無「私」であり、我らは如何したら無「私」無我を修められるだろうか?師父は既に法の中で「私の為は過去宇宙の根本属性である」と教えている。この「私」という旧属性は、旧宇宙の下層、層々のすべてが「私」により制御され、隔離され、封じ込められているので、我らの正しく修められていない部分は、旧宇宙の「私」より隔離されてしまうことが分かった。

 師父の法を通じて、私の修煉過程を顧みると、毎回の引き上げ、毎回の悟りはこの「私」を修め取り除くことによりようやく向上されて来た。この「私」がとり掴めない、探し出せない時には、矛盾が現れ、正念が不足になり、法も思い出せなく——最後、この「私」を見付け、取り掴まえてこの「私」を突破すると、あらゆるトラブルが自然に解決出来てしまう。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/9/14/137767.html

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