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師父が功法を伝えられた経歴を思い返して


 文/大陸の大法弟子

(明慧日本)偉大なる師父が広州で行われた第四期講習会クラスに、私は非常に幸運にも参加できました。クラスは1994年1月6日〜13日にかけて開かれ、合計4000人の学習者が参加しました。

 全体の状況を今でもはっきりと覚えています。一つ目の印象は、師父の説法を聞いてすぐに心の状態がよくなったことです。初日に、学習者一人ひとりに席が用意されていたにもかかわらず、多くの新しい学習者が我先にと争いながら会場に入っていきました。大きな喋り声や騒々しい声があふれていました。二日目、三日目になると、状況は一変し、師父の話されることを一言も聞き漏らさないように、瞬きをする暇もありませんでした。全会場の視線が師父に集中し、会場は厳粛な雰囲気に包まれました。私を含む多くの人は感動のあまり涙を流していました。

 私が一番はっきり覚えているのは、師父が、ほかの空間では人間は骨の中まで真っ黒だと話されたところです。私のことを言っているのだと思い、ほかの人も、彼らのことを言っているのだと思いました。師父の話されたとおり、私たちは体中病だらけで、外から中まで全部真っ黒で業力が非常に大きかったのです。そのあと、師父が周天について話されていたときに、私たちは聞いていてとても摩訶不思議な感じになりました。しかし師父は、それらはたいしたことはないと話されました。それからさらに師父は説法され、私たちが聞いて、レベルが高すぎて信じられないところまで達しても、師父はそれらはたいしたことはないと話されたので、私たちは笑い出しました。非常に感動しました。師父は「会社の中で、あなたはよい人だという人がいるかもしれないが、あなたが本当によい人だとは限りません。あなたが悪い人だという人もいるかもしれませんが、だからといってあなたが本当に悪い人だとは限りません」。そこで私はふと悟りました。常人の言う良し悪しはすべて小さな範囲で個人に基づいていて、私心に基づいた固有観念で、自分を守るためのものだということを。

 私はまた師父の話される得失の関係と業力の転化(第四講)を聞き、今までのすべての怒りと憎しみの源が分かり、自分と周囲の因果関係が分かりました。何度も人間界で生きてきて作った罪は返さないといけない、これは天の理です。宇宙の法理は絶対に公平だと信じています。

 私は師父の話された一言一言を堅く信じ、まったく躊躇せずに、師父が話されたことをすべて信じました。数日の講習会クラスから本当に大きな収穫を得て、私の数え切れない心の行き詰まりが解消され、天に叫んでも答えを得られない、地に訴えても効かない頑固な鎖が一気に解放された感じでした。私は感激のあまり毎日涙を流し、自分が得たものはどんなに探しても得られないほど大切なものだと知りました。私は生まれて初めて病のない、軽々とした体の状態を体験しました。私はかつて毎日血便をし、お菓子ほど大きな堅いものを吐き出し、よく腹を下していましたが、見る見るうちに健康になりました。ほとんどの学習者はそれぞれ体が浄化され、みなトイレを探し、列を作っていました。しかし、どんなに緊迫した状態でも、漏らしてしまう人は一人もいませんでした。

 1994年、私は師父の河南省鄭州での講習会に参加しました。そのとき一番はっきり覚えているのは、初日に宿の手続きをしていたときに列の一番後ろにいたのが私だったということです。荷物を持って階段を上がっていたとき、札束が落ちているのを見つけ、あわててそれを拾って上に行き、持ち主を訪ねました。結局それは地元の武老さんの600元でした。もう一つ覚えているのは、憑き物がある学習者の隣に座って法を聴いていたとき、その学習者は体をふらふらさせていました。師父は憑き物について話されているとき、話しながら、その学習者をチラッと見ると、彼女の動きが止まりました。師父が憑き物を処理されたのです。

 ある日、もともと天気がとても良かったにもかかわらず、あっという間に雨風が激しくなり、竜巻が発生し、雹も降りだしました。バケツをひっくり返したような大雨が降り、竜巻は木を根っこごと引っこ抜きました。多くのものが風にとばされ、長い間空中で風に飛ばされました。何軒もの家屋が倒壊し、地元の人たちによると、今まで一度もあのような嵐はなかったとのことでした。講習会の会場も停電し、特大の雹が師父の教壇に落ちました。会場は非常に荒れ狂い、窓ガラスも壊れ、大雨が振り込んできました。窓の近くに座っていた人たちも不安になっていました。そのとき、師父はそれ以上講習会の邪魔をする魔を許しませんでした。前の方に座っていた学習者は、師父が大手印を打ち出されるのが見えました。師父は邪魔をする魔を手のひらの中に収めて、ペットボトルの中に入れ、蓋をきつく閉めました。するとたちまち雨が止み、風も止まり、雹も降り終わり、太陽が出てきました。私は非常に不思議に思い、どこから光が入ってきたのか、と思いました。他の学習者は一度もこのことについて書いていないので、ほかの同修は見えなかったのかと思います。

 講習会の初日、師父は「皆さんはるばる遠方から来ているので(地元の学習者は少なかった)、本当は学習費を取りたくないのですが、会場を借りる費用が高くてどうしても費用が要るので、ご了承ください。この会場は一日で二千元(師父のおっしゃったそのままではないです)かかり、さらにいろいろな費用がかかるのです」と話されました。師父の話されたことに哀れみを感じ、私たちは涙を流しました。

 1994年7月15日、師父はチン州の「三仙五佛」の地に来られました。師父が来られたことはチン州佛地の光栄でした。講習会は女子バレーの練習場で行われ、900人あまりが参加しました。交通が不便なため宣伝はしておらず、比較的非公開での講習会となりました。師父が話されましたが、学習者が多くなると、講習会が終わってからなかなか帰られず、多くのことに影響がでるとのことです。

 覚えているのは、講習会の初日、マイクの音が小さいと思っていると、師父がすぐに「マイクの音量は足りていますか?」と話され、すぐに音量がよくなりました。師父は私たちの考えていることをすべて分かっておられると思いました。ある大雨の日に、同修が師父に傘を渡すと、師父は「傘をさしている気功師なんて見たことありますか?」と話されました。すると本当に師父はまったく雨にぬれず、師父とともに歩いていた同修もぬれませんでした。ある晩、下を向いて法を聞いていると、ふと師父が私にこうおっしゃっているように感じました。「法から多くを得た人がいます。彼女はもともと多くの病を抱えていたのですが、今になって再び病が現れてきました。病の根本から取り除くためです」そう、師父のおっしゃるとおり、私は多くのものを得ました。

 チン州での講習会も4日たち、まもなく終わろうとしていました。師父の手伝いをしていた担当者たちは、地区の責任者に、「師父はここに来てからまだ何も食べておられません。食事を届けても、毎回そのまま戻ってきました」と話しました。師父はほかの気功師たちと違ってあちこち行ったりせず、誰にとっても近寄りやすく、特別に年配の学習者たちと握手をしていたのを何度か見たことがあります。学習者が広州行きの列車のチケットを師父のために買い、師父は何度も礼を言いました。とても穏やかで哀れみに満ちていました。師父は衆生に慈悲と善を持って対処され、自らの言動で私たちにお手本を示されました。私たちが師父を見送るとき、師父は皆と一緒に夕食を取られました。師父はすべてほかの人のために尽くしておられ、ともに食事ができて学習者たちはとても喜びました。

 師父がチン州を離れるとき、私たちは駅まで送りに行きました。師父は私たちを見ると歩いてきて、ある人にスイカをひとつ送らせました。そのスイカはなんとちゃんと切られていて、ちょうど一人一個に分けられていました。師父が列車に乗り、動き出した列車はどんどん遠ざかっていきました。私たちはホームに立ったまま動けませんでした。「この村を去れば、もうこの店はない」ということを知っていました。私たちはさらに努力して自分を修め、師父とともに本当の家に戻ると決心しました。

 1994年12月、広州で第五回の講習会が行われました。計6000人あまりが参加しました。偉大なる師父が盛大な会場に現れると、会場は拍手で満ち溢れ、その音は天まで響き渡るようで、長い間止まりませんでした。慈悲なる師父は手招きで弟子たちに座るようおっしゃいました。すると「サッ」といっせいに全員が席に着き、それからは何の話し声も聞こえませんでした。師父はこの上なく親切で暖かく、思わず涙を流してしまいました。声を出して泣き出す人もいました。

 学習者が多く、会場外にもチケットを買えなかった人が数百人いました。しかし彼らは帰ろうとはしませんでした。師父は担当者たちと話し合い、テレビで外の人も説法を聞けるようにしました。ひとつの説法が終わると、北京の大法弟子たちは集団で席を外の人に譲り、自分たちは外のビデオで説法を見ました。みな師父を見たいのであって、心性が高くないとこのようなことは出来ません。しかも、北京の学習者たちは自分たちのよい行いをほかの人に見せることはせず、会場の秩序は少しも乱れませんでした。このことは講習会が始まる前から計画されていたのです。みなとても感動していました。

 続いて、多くの大法弟子はお金や宿や、さらには食事にさえ困っている学習者のためにお金を出し合いました。ある同修は「ある学習者は家に寝たきりの病人が二人いて、お金も使い果たしましたが、法を得ることに影響はありませんでした。彼は路上で寝て、雑穀を食い、生水を飲んでいて、このことが他の学習者に伝わり、師父にこのことを知らせたそうです。師父が会場でこの質問を読み上げたとき、この学習者の家の二人の病気はもう良くなりました、と話されました。講習会が終わって彼が家に戻ると本当に二人の病気は治っていました。どう治ったのかたずねると、ある日大きな法輪が部屋の中で回っていて、二人とも立ち上がり、何か食べようと思い、すると歩けるようになり、何でも出来るようになったそうです。時間を計算してみると、ちょうど師父があの質問を読み上げたときに二人の病気が治ったと分かりました。あの日、師父の法身は彼らの体を同時に浄化し、良くないものを処理したのです。だから、人は師父を見るとつい泣いてしまうのです。師父はあなたが気づかない一瞬のうちに、あなたが一生解決できない問題を解決されたのです。苦しみはすべて師父が受けて、病人を治されたのです」

 私の場合、背中にとても出っ張っている骨があって、それを治せるものはおらず、薬を買うお金もなく、どうしようもありませんでした。しかし、師父を見ると背中は平らになり、治りました。ほかの空間の霊体を取り除けばこの空間の病は良くなると師父は私たちに教えてくださいました。

 またある日の晩、その日の説法を終えたあと、学習者が住んでいる建物の屋上にあがりました。ある小さい弟子が、空に李先生がいらっしゃる! 蓮の花びらに座っておられる! と叫びました。およそ20分後に見えなくなりました。私はそのそばにいませんでしたが他の同修が教えてくれました。

 もう一つのエピソードがあります。一緒の宿に住んでいた学習者は深センから来ていました。彼は新しいアラーム時計を持っていました。帰り際になって、私が「この時計はいいですね。正確だし、見かけもいい」というと、彼はどうしても私にくれるといって聞かず、私は受け取りました。そのとき私は嘘をついてお金を持っていないといい、その人は私にただでくれました。ところがもって帰るとその時計は動かなくなりました。修理も出来ず、無駄なものになってしまいました。私は修煉の厳粛さを悟りました。ほかの人の良いものを見るとほしがる、これも執着なのです。

 今回の講習会でも師父は多くの深刻な憑き物を抱えた学習者の問題を解決しました。ある学習者は長期にわたって憑き物に悩まされ、生きるよりも死んだほうがましなほど苦しんでいました。彼女の心ははっきりしていましたが、憑き物にコントロールされて、自らを解放できませんでした。彼女は大法弟子の前でひざまずき、法輪功を学びたいといいました。そこで彼女を広州での講習会に連れて行くと、一回の講習会で彼女は死の淵から救われました。

 師父に連れられて食事に行ったことのある同修が話してくれました。その同修は食べ物の大切さを知り、その後一度も食べ物を無駄にしなくなったそうです。彼はまた、師父が店で買い物をしたときのことを話してくれました。師父は自らの言動で弟子たちに手本を示され、社会と人々のことを考え、あらゆることに関しても、師父は人に良い人になって善を行い徳を得るよう教えられました。寛容で、忍耐力があり、ほかの人のために考え、同時に自分の内側に向けて足りないところを探す。これらはみな佛法の現れです。師父は一年の間講習会の会場をのぞいては、ずっと移動の列車に乗って急いで次の講習会に向かっておられました。「慈悲は天地の春を溶かすことができ、正念は世の中の人を救うことができる」と、まさしく師父が自ら話されたようでした。

 2006年10月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/6/14/130342.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/7/18/75632.html