日本明慧
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大きな志を持って、小さなことに気を配るべきである


 文/カナダの大法弟子

(明慧日本)尊敬する師父、こんにちは。みなさん、こんにちは。 私は1999年5月23日にトロンで開かれた法会で師父の説法を聞いたのがきっかけで法を得て修煉を始めました。私は個人修煉を経験することなく、直接正法活動に参加しました。師父は「北米での巡回説法」の中で「私は1999年の7月20日に、既に7月20以前の学習者を全部所定の位置に押し上げ、皆さんの最高位置まで押し上げました。」と、述べられました。私は「最終バスに間に合った」と喜びを感じました。所定の位置についたからには、これからはついて行くだけで結構だと思っていました。「放光明」テレビの立ち上げと運行、そして新唐人テレビ局のカナダでの発展に至るまでの過程で、初めのころは新しい学習者の気持ちでいたのですが、知らず知らずのうちに、いつの間にか古い学習者になり、協調者になりました。私はこの7年にわたって、多くの正法活動に参加しました。しかし、いつも個人修煉を重要な位置に置いていませんでした。 

 最近一番深く感じるのは、ここ数年の間、「法を実証する活動への参加」の名目で、自分自身に対する要求を放任し、自分にある多くの問題の全てを邪魔による妨害のせいにしていました。「2006年カナダ説法」を拝見してやっと自分自身の問題を正視しなければならないということに気付きました。師父は、「覚えておいてください。人類の理は逆になっています。修煉の中でぶつかった厄介なことは、全部トラブルだと思ったり、自分が行おうとする大事なことへの妨害、自分が行おうとする大事なことへの邪魔だと思ったりしてはいけません。自分がこのことが重要だ、あのことが重要だと思っていても、実は多くのことは、あなたが見たような状態ではないかもしれません。」と説かれました。師父はまた、「ですから、皆さんが行なったすべてのことは、常人の中で、家庭関係、社会での関係を正しく扱うこと、職場や社会での行動でさえ、簡単にいい加減にしていいことではありません。このすべてはあなたの修煉形式であり、厳粛なことなのです。」と、述べられています。(「2006年カナダ説法」)

 一、「法を実証することに参加する」という名目で、いい加減に行っていた

  私はある大手のワクチン会社の研究員として働いています。ですからいつも報告書ばかり書いていました。2002年、私が書いたある報告が重視され、大筋がはっきりとしていたため、会社のある重要なプロジェクトに対して肝心な役割を果たしました。そして、会社全体の研究と発展の手本となりました。

 2002年以降、正法に対する私の認識が徐々に深まるようになり、多くの活動に参加しました。知らず知らずのうちに、私はつい常人の仕事と法を実証することの大事さを比較しようとしました。私の報告が如何によく書けたとしても、私の研究が如何に抜群であっても、せいぜい会社に数年早くワクチンを生産させ、疾病の苦しみを受ける人が少なくなり、場合によっては死から逃れることができるようにしただけでした。以前なら正義の血を沸き立たせたはずの私でしたが、正法活動と比べると、とてもばからしく感じました。

 いつの間にか私は法理に対する自分の理解で常人の仕事を量ろうとしました。常人を疾病の苦しみから助けるのが良いことなのか、悪いことなのか? 一部の常人を死から逃れさせるのが良い事なのか悪いことなのか? しかし、当時一つだけ、とても確信していたものがありました。それはつまり、法を実証する事は最も素晴らしいことであり、必ずしっかりと行わなければならないということでした。 

 判断する基準と段取りの勧め方が分かると、いろいろなことについて「法を実証することに参加する」という名義の下で隠すことができます。同修との間の交流はさらに私のこのような認識を深めることができました。当時、私の家内はある大手電気通信会社の業績がとてもよい技術営業係でしたが、彼女も急に法を実証する多くの活動に参加しました。それによって彼女は仕事を失ってしまいました。当時、私は彼女をうらやましがる気持ちから、いいではないか、これからは全力で法を実証する活動に専念できるからと思いました。できることなら私もそうなりたいと思いました。しかし、家族全員職がなく、生活ができないようでは話にならないと思って、私はずっと仕事をやめませんでした。しかし、数カ月前から、私は専業で法を実証する仕事をやりたいと考えるようになりました。 

 このような心理状態の下で会社での私の仕事の内容は言うまでもなく、簡単に想像がつくものでした。その表れとして仕事上で次から次へと難がやってきました。私に対する支配人の態度も日増しに悪くなりました。私はずっとこれらを旧勢力が「自分が行おうとする大事なことを妨害しており、自分が行おうとする大事なことに邪魔をしている」と認識し、常に正念を発する習慣を身につけました。支配人と打ち合わせをする前にも必ず正念を発しました。支配人の顔色が良くない時もありましたが、いつもごまかしてやり過ごしました。プロジェクトの審査の時も正念を発し、危ないところから逃れようとしました。何度も支配人が通常とは違うと思いましたが、心の中では、本当に厄介なことだ、正念を発してもだめなのか、更に力を入れて真相説明をしなければと思いました。幸いに支配人は正義感がとても強い人で、彼にある程度真相を説明する度に情況が良くなりました。 

 師父は「真象を伝えることは万能の鍵」(「2003年アトランタ法会での説法」)であると説かれたのは本当に確かでした。もし常人が理解できる事に結び付けて常人が分かるように説明すると効果は更によいのです。今年の初めごろ、中国共産党の長城テレビ・プラットフォームがカナダに設置されることを阻止するため、私は多くの時間と精力をその活動に使いました。支配人に真相を説明すると彼は本当に感動し、同時に私もしばらくは「仕事の危機」から逃れることができました。支配人は若い時に数カ月間軍隊に行ったことがあると言いました。私は、「カナダの兵士は銃を持ってカナダを守っていますが、今中国共産党は九つのテレビ局をカナダに侵入させようと企んでいるのに、大半のカナダ人はまったく無関心です。確かに私は最近多くの時間をこれらの事に使っていますが実のところ私はカナダを守っているのです」と言いました。

 その上、私は会社で習った報告書を書く技能を現に使えるようになったことも言及しました。特に支配人の報告書についての書き方の教えが今やとても役に立っていると言いました。私たちがカナダのラジオ・テレビ局に提出した報告書はとても専門的で通常ならこのような報告を書くのに何人かの弁護士が数カ月にもわたって携わり、ようやく出来上がるのですが、私たちは何人かのアマチュアで1カ月足らずで完成させました。その後聞いた話ですが支配人は社長の前で私のことを褒めたと言います。当時、私は心から嬉しく思いました。しかし、今になって振り返ると、実は私は自分のやるべきことを彼に引き受けさせたのです。 

 言われたとおり「真象を伝えることは万能の鍵」」ですが、衆生に正しい選択をしてもらうためには、自分の位置をきちんと見極めなければなりません。 まさしく「大法弟子の正念は威力があり」、正念を発することによって間違いなく邪悪の妨害を一掃することができます。しかし、真相説明と発正念のすべては、私たち修煉者の修煉に取って代わるものではありません。同時に、また正法時期の大法弟子に代わって常人社会の要求を円融することでもありません。 

 この数年間、生活の重圧から私は常人社会の仕事を引きずっていかなければなりませんでした。今、この「面倒」だと思っていた常人の仕事がとても大事であり、独特な正法修煉の環境であると認識しました。これらの常人社会の仕事と法を実証することの関係について、私はあまりうまくバランスを取ることができていませんが、今まで以上にこれらのバランスを取る自信がつきました。

 二、詳細な面を重視しないことも、「法を実証することに参加する」ことの言い訳にほかならない

  最近、支配人は私が提出した報告書に対して、「AとBは関係があるのですか?これはあまりにも漠然としています。AとBはP値の××の状況から、統計上では関係があるのだ、と言うべきではありませんか。詳細な面での結論がはっきりしないと信用がなくなります」と、指摘しました。当時、私は口では返事をしたものの、心の中では黙々といわゆる「彼の背後で私にちょっかいを出している邪悪な要素を取り除く」ようにと正念を発しました。そして、やるべきことがまだ山ほどあるのに、この報告を早く提出しないと、報告の内容なんかはつまらないもので人のあらを捜すなんて、これらのことで正法活動に影響を与えることは妨害に決まっていると思いました! 私は自分の事務室に戻って正念を発しました。冷静になってみると報告書の作成に必要な書類すべてがここにありました。気持ちを落ち着かせてきちんと報告書を書こうとすれば、それもそんなに難しいことではありませんでした。難しいのは如何に気持ちを冷静にし、報告書の品質を重視し、報告書の重要性を理解できるかどうかです。問題はやはり正しくない私自身の心理状態にありました。

 私は内に向かって原因を探しました。実のところ正法活動の中で詳細を重視しないことが何度も発生しました。たとえば、九つの中国共産党のラジオ・テレビ局が完全に悪党政府制御下でカナダに憎しみを植え付ける時、法規の字面上の意味だけで深い研究をしないで引用するのであれば、相手の弁護士に口実を作らせ、私たちを攻撃する機会を与えるのです。キルガー氏とマタス氏の報告を振り返って見ると、すべての詳細に検証が必要でした。常人の仕事であろうと大法の正法活動であろうと、このように厳格で着実に絶えず向上しなければなりません。

 実のところ、悪党の文化は詳細を最も重視しています。事実がどうであるかにかかわらず、すべてを邪党の認識で定性し、それからレッテルを貼って攻撃するのです。これらはキルガー氏とマタス氏の報告および邪悪がカナダラジオ・テレビ局に出した手紙の中でそのすべてが公になりました。それらは完全に具体的な事実を直視する勇気がなく、弱々しくただ役人口調で対処するだけでした。 

 このような党文化式の役人口調は弱々しく力がないので、人を嫌にさせるのですが、最もしやすいのです。それも一種の怠けの現れです。最近、私は学習者との交流の中で発言が多かったのですが、妻は私に役人口調が多いと言いました。これは必ず注意すべきです。師父は、「皆さんの道は、皆さんが既に目にしたと思いますが、実は非常に狭いのです。」(『大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説』)と、説かれました。自分が着実に行っていない上、最善を尽くさず、自分の理解した法理をもって他人の不足ばかり探そうとしていると、間違いなく道からはずれてしまうのです。もし法律を持って人を押さえつけようとして、口先だけの形容詞をたくさん使っても、本質的なものがないとそれこそが悪党の党文化に等しいのです。

 三、自分の「軽微」な執着を野放しにするのか、それとも「法を実証することに参加する」名義のもとで行動するのか「法を実証することに参加する」ことを言い訳に、気の向くままに「軽い」執着した

 『転法輪』を何度読んだか分からないのですが、今年の3月22日まで「タオルの端切れ」のところを読む時は自分と関係ないと思っていました。私の会社は去年の末から心理学者を一人招いて人材管理育成訓練を始めました。私は「一対一」の育成訓練の機会に選ばれて、自己個性の特徴と指導方法を分析してもらい、それによって管理能力法の向上をはかることになりました。私はとてもうれしく思いました。これは知識を習うだけではなく、習った知識を、法を実証することにも応用でき、その上、彼女に真相を説明するよい機会だと思いました。

 3月22日、私は彼女に法輪功の真相および私が新唐人テレビ局に参与していることを話しました。そして、つい最近暴露された蘇家屯強制収容所で行われた生体臓からの臓器摘出販売といった残虐な事実についても説明しました。また、仕事上でぶつかる問題およびこれらの関係をうまく調整することが難しいということまで言及しました。彼女は私に、独り言のように「『法輪功』は『真』を説いているのですが、あなたは会社で法輪功のことをやらないのですか?」という言葉を口にしました。

 私は一瞬呆然として、すぐさま話題を他のところに移しました。家に帰って『転法輪』の第四章を読みながら、仕事上での自分自身の行いを振り返ってみました。修煉者の要求にあまりにも距離がありすぎました。今まで重視していなかったのは、認識ができていなかったからでもなければ、基準を知らなかったからでもありませんでした。それは、自分自身のことではなく、法を実証するためであると自分自身に言い訳を作っていたからでした。自分のいわゆる「軽微」に執着し、気の向くままに放任しました。このような考えは当然ながら会社での仕事の質に影響を与えました。会社から出してもらっている給料に申し訳ないと思っていましたが、これは、つまり会社の「タオルの端切れ」を家に持ち帰ることと同じことでした。 

 私は他の同修の前で、「私は会社でも大法のことをやり、とても能力が優れている」と、自分を顕示したことがありました。実のところ会社で大法のことをやるのは落ちつかず、結局両方とも駄目になりました。これらの事の重大性を認識にするようになり、特に師父の『2006年カナダ説法』を勉強してから、私は心の中で会社の仕事を一心不乱にやっていこうと決めました。それからというもの、とても効率がよかったのです。昼休みと退社後に大法の仕事をやることに専念することができて、より充実して効率も良かったのです。しかし、長年身についた習慣を完全に切り捨てることは簡単なことではなく、特に現在やるべき多くの活動がぎっしりつまっていて、とてもあせっています。私のコンピューターには二通りの電子メールシステムがありますが、如何に勤務時間に新唐人のシステムをクリックしないかが、私にとって毎日乗り越えなければならない関となっています。この関を乗り越えるとき、うまくいくときもあれば、つまずく時もあります。自分でマウスを制御するのに、こんなにも大きな力が必要だとは思ってもいませんでした。2カ月にわたる修煉を経て、今は大体午前と午後それぞれ4時間ずつ一心不乱に会社の仕事をやるようにし、昼休みだけを利用して大法のことをやっています。

 師父は私たちが常人の仕事をしっかりと行うことの重要性と厳粛性を説かれました。大法弟子として私たちは最善を尽くして修煉の心理状態をきちんと整える努力をしなければなりません。私たちの心理状態は常人に対しても影響が大きいのです。中国共産党による法輪功学習者の生体からの臓器摘出販売の事実を聞いて、私の会社の支配人はとても憤慨しました。彼は最近、勤務時間に上記のことに関して説明するようにと私に何度も話しかけて、如何にしてそれらに対応していくかの方法も考えるべきだと言いました。いうまでもなく、私たちが修煉の心理状態をきちんとして、会社の仕事をしっかりと行い、給料に申し分ないようにしてはじめて、本当に周りの協力を必要とする時は各方面から支持を得ることができ、円容することができるのだとわかるようになりました。

 しかも、勤務時間に支配人と一緒に大法のことをすることも可能になるのです。 今までずっと自分の「軽微」に執着し、それを放任していたので、今も各方面においてそれらの執着が現れるときがあります。たとえば私たちの部署には二人の秘書がいますが、一人はとても美人で、もう一人はそうでありませんでした。私はいつも美人な人にばかり仕事を頼みました。しかもこれを当たり前のことと思い、悪いことだと思っていませんでした。しかしこれは常人の「情」であり、自分の好き嫌いの執着によるものでした。すこしでも自分の一言一動を制御しないと「軽微」な執着が現れてそれが大きな執着となり、深刻な場合は大法に悪い影響を与えるのです。ある時、大法のことをする際、私はある年配の同修に協力を求めましたが、あまりうまくいきませんでした。同修は私が彼女を支持しないと言い、私は逆に彼女が協力できない問題の原因を外に探しているのだと指摘しました。それからその同修は私と交流を行い、人に対する態度とやり方が相手によって異なると私に言いました。私は、自分の好き嫌いを大法の中に混ぜ込んでいた自分自身の執着を認めざるを得ませんでした。気が合う学習者に対してはとてもよくし、気が合わない学習者に対しては協力せず一層遠ざかりました。 

 同修たちといっしょに師について正法活動を行っていく数年の間、私の同修に対する「情」が最近のある活動の中で激化して衝突を引き起こし、公に暴露されました。私はこの活動の協調者としてある学習者が他の学習者から何かを言われているのをみてとても不公平だと思い、つい心の中の魔性が爆発して、その学習者に対して恐ろしい剣幕になりました。冷静な気持ちを失った状態で一人ひとり学習者に対する慈悲は異なり、全体の協調はできるどころか、その結果として、学習者のみなさんの心および活動の進展に大きい影響を与えました。ここで、私は単刀直入に私の執着を指摘してくださった同修たちに感謝の気持ちを申し上げます。

 師父は「最後になればなるほど精進すべき」の中で、「もちろん、こういう情況にいる多くの弟子は実は最初、自分にある軽い執着または観念の妨害に気づくことができず、邪悪に隙に付け入られ、妨害の要素を強められたから、このようになったのです。」と、説かれました。いうまでもなく自分の「軽い執着」が漏れの原因だったのです。これらの漏れは私のようにあまり個人修煉の経験がない学習者によく見られるものだと思います。はっきり言いますと「真善忍」の要求に基づいて自分自身の一言一動を厳しく律することができないのであれば、これは果たして修煉といえるのでしょうか? 師父は『聖人』の中で、「其の人、天命を賦りて世間、天上にあり、厚徳を具え其の心を善にし、大志を懐き而して小節に拘わる、法理を博して謎を破る、済世し人を得度せしめて功自ずから豊かなり」(『精進要旨』)と述べられました。正法時期の大法弟子は幸運にも師父について正法に参加することができ、「大きな志を抱いている」ことは言うまでもないのですが、私はここ数年にわたる法を実証する活動の中で「法を実証することに参加する」ことを「詳細を気にしない」こととして受け止めていました。本当に師父の要求とはあまりにも距離が離れていたのです。当初の「最終バスに間に合った」という幸いな心が個人修煉の妨げになったのだと深く反省しています。また弟子に自分を見直す機会を下さった師父にとても感謝しています。弟子として私は必ず精進して、これから自分の一つの考え、一つの念、一言、一動をしっかりと正しく制御できるよう努力していきたいと思います。

 個人の体験であり、適当でないところがあれば同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 (2006年米国ワシントンDC法輪大法修煉交流会で発表)

 2006年11月2日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/7/25/133903.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/8/13/76773.html