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法輪功学習者・田恵英さんが広東省三水労働教養所で受けた迫害

(明慧日本)今年7月に田恵英さんが広東省三水労働教養所で迫害により死亡した情報を知ったとき、彼女はすでにこの世を去って1年が経っていた。彼女は2005年7月6日に三水労働教養所で虐殺された。ここで、私の知っている真実を記したい。

 田さんは2004年6月に三水労働教養所の攻略班から301に移された。攻略班で長期に寝かせてもらえず、しかもずっと恐怖や恐喝される状況におかれたため、彼女は301に監禁されたときにすでに精神状態が朦朧としていた。シャワーを浴びるときに、彼女の全身に紫色、青色の傷跡があった。私が彼女に「この傷はどうしたの?」と聞くと、彼女は「攻略班で殴打された」といった。彼女は看守らを見るたびに怖くて全身が震えていた。

 田さんは毎日2人の麻薬中毒者に監視され、法輪功を誹謗したり、中傷したりするDVDを見せられていた。田さんには3人の子供がおり、看守らは「法輪功への信仰を放棄したら、家に帰って子供の面倒を見ることができる」と彼女を騙し、田さんは子供に会うために、法輪功と決裂する保証書にサインした。その後、彼女の体調は完全に崩れた。最後に、彼女は見る影もないほど痩せていた。他の法輪功学習者が医者を呼んで来て、彼女を検査してもらったが、彼らの結論は、彼女は家に帰りたいから瘋癲を装っているというものであった。

 その後、彼女を監視する2人の麻薬中毒者が彼女に対して態度がさらに悪くなり、いつも彼女を殴打して、その後、労働教養所が強制的に田さんに血液検査をした。田さんはこの検査には陰謀があると予感したが、検査した後、彼女の精神状態が一層悪くなった。

 数日後、田さんは別の大隊に移された。最初、彼女を見た人がいたが、数カ月後、彼女を見た人はいなくなった。

 三水労働教養所は田さんが交通事故で死んだと言ったが、これはまったくでたらめである。理由は以下の二つである。第一、当該労働教養所には車が少なく、しかも人や車が自由に出入りすることが厳禁されている。第二、田さんのような厳重に監視されている法輪功学習者は食事のときだけ2人の監視の下で食堂に行くが、ほかの時間帯に牢屋を出ることは不可能である。明らかに、いわゆる交通事故は当該労働教養所が彼女を虐殺した真相を隠そうとして作った話である。

 また、三水労働教養所が行った血液検査というと、2004年〜2005年に私は強制的に3〜4回検査されたことがある。当時、不思議に思っていたが、中共の法輪功学習者の臓器摘出事件が暴き出されてから初めてその原因が分かった。

 2006年11月5日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/10/15/140181.html