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瀋陽の法輪功学習者・温英欣さんは迫害され死亡

(明慧日本)遼寧省瀋陽市の法輪功学習者・温英欣さんは、2006年8月7日午後3時ごろ、瀋陽市大東区小北地区に法輪功の真相資料を貼っていたとき、真相を知らない人に告発され、その後、瀋陽市大東区公安支局の小北警察署の警官に連行され、8月8日に瀋陽市留置場に送られた。

 温英シンさんは、8月7日に大東区公安支局小北警察署に連行されてから、断食により抗議したが、8月8日〜16日の間、瀋陽市留置場で灌食などの迫害を受けた。8月16日、温英シンさんは瀋陽市留置場で苦しめられて危篤になり、瀋陽市の739医院(瀋陽市留置場の指定医院)に送られた。留置場は罪の責任を逃れるため、「温英シンの案件資料を留置場に転送してきていない」という理由で、温英シンさんをいわゆる「案件着手機関」の大東区公安支局小北警察署に移送した。

 温英シンさんは739医院に送られた当日(8月16日)午後5時ごろ、温英シンさんの家族は小北警察署からの、温英シンさんは瀋陽市の739医院にいるという通知書を受け取った。家族が739医院に駆けつけた時、温英シンさんは酸素を吸入されてベッドに横たわっていた、心電図は明らかに1本の直線になっており、ただ顎の下で呼吸していた。温英シンさんはその夜10時にこの世を去った。

 瀋陽留置場、小北警察署、739医院は家族に医療診断書を渡すのを拒絶した。739医院はただ家族を「死亡通知書」に署名させるだけ、「死亡通知書」には、イオンが乱れ、腎臓機能衰退により死亡、と書かれていた。

 温英シンさんは息をひき取った当日の夜(8月16日)、遺体は警察によりただちに瀋陽市文官屯の葬儀場に送ることが手配された。遺体は文官屯の葬儀場に20数日間保管され、警察側から「預かり費」千数元が出された。

 この20数日間、温英シンさんの家族は瀋陽市留置場に正義を求めに行った。市留置場の一人の眼鏡をかけた中年男性の警官が「接待」した。彼は留置場が温英シンさんに対し、灌食など迫害の話を回避して、留置場の監視モニターの録画を家族に見せた。録画は編集してかき集めたもので、何にも見てとれない。市留置場は、温さんは病院で死んだ、留置場には責任がない、どこに訴えるか好きにするがよい、と言った。

 中共の警官の脅しの下で、温英シンさんの遺体は9月上旬に強行して火葬させられた。

 2006年11月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/28/138765.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/10/26/79333.html