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長春黒嘴子労働教養所:朱喜玉さんは迫害されて精神異常になった


 文/長春の法輪功学習者

(明慧日本)私は長春黒嘴子労働教養所に不法に監禁されている間、中共は法輪功学習者・朱喜玉さんに対して人間性をまったく失った残酷な迫害を行うのを自ら見た。

 朱喜玉さんは延吉市の法輪功学習者である。当時、彼女は不法に四大隊に監禁されていた。朱喜玉さんは邪悪の命令と指図に協力しなかったため、常に悪らつな警官に殴られ、罵られていた。常に赤い衣服の悪人が悪らつな警官の指図の下で、朱喜玉さんを脚で蹴ったり、拳で殴ったりしていた。朱喜玉さんは断食で邪悪な迫害と不法な監禁に抗議したが、常に殴られて顔全体が青くなって腫れあがり、衛生課の悪らつな警官により野蛮に強制的に食物を注入されていた。私はいつも彼女が衛生院から戻ってくるとき、顔中血だらけで、鼻には管が刺しこまれているのを見た。

 他の法輪功学習者が悪らつな警官の暴行を制止させようとすると、看守はことが拡大するのを恐れて、すぐ朱喜玉さんを部屋に運んでいった。しかし、部屋に入ると彼女を待っているのはまたもや電撃とめった打ちであった。こうして数カ月経ち、悪らつな警官はいろいろな手を尽くしたが、朱喜玉さんを転向させることができなかった。すると、警官は衛生課の悪らつな警官と共謀して、朱喜玉さんを公安病院へ送った。いわゆる治療の名目だったが、実際は更なる迫害を行ったのであった。

 私は突然、朱喜玉さんが見えなくなったので、皆に聞いたが、誰一人彼女がどこに行ったか知らなかった。またしばらくして、私が四大隊の学習委員(邪悪な共犯者)に遇った時、彼女は「朱喜玉がどこに行ったか私も知らない。生きているかどうかも言えない。もしかして家に帰ったかもしれない」と言った。

 3カ月後のある日、並んで食事をする時、私はお婆さんがひとり両腕を抱き、腰を曲げているのを見た。四大隊の悪らつな警官と赤い衣服の二人の悪人が「前へ、前へ、後ろへ、後ろへ、……」と大きい声で、彼女を虐待していた。赤い衣服の人は彼女を押したり、引っ張ったりして責めていた。彼女は誰だろう、と私が思っている時、1人の警官が大声で「朱喜玉」と叫んだ。彼女は朱喜玉さんだった。私は非常に驚き、また非常に怒りを覚えた。朱喜玉さんは労働教養所に来た時、30歳くらいだったが、悪らつな警官らに迫害されて、このような様子になっていた。その後、やっと朱喜玉さんがすでに迫害されて狂ってしまったことを知った。彼女は毎日意味が分からないことを言っていたが、依然として毎日私たちに向かって「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいた。叫んだ後は、めった打ちされるか、或いは電撃された。

 2003年1月のある日、みな食事が終わって、並んで仕事場に戻った時、無意識に内窓の外を見たところ、私は呆然として、しばらくしてやっと「早く…早く…早く見て…」と叫んだ。みな走ってきた。外では四大隊の悪らつな警官が、手に持っている縄を前へ引っ張りながら歩いている2人の悪人を指図していた。縄は朱喜玉さんの両足首を縛っていた。朱喜玉さんは背中と頭が地面に着いていて、衣服は引き裂かれて、階段を一段ずつ引っ張られて下りていた。白い雪で覆われている地面には長い血痕が残されていた。憤怒したわれわれは窓を叩きながら、大声で「やめて! あなたたちはナチスと何の区別があるのか! あなたたちはナチスより残虐で、残忍だ!」と責めた。この叫び声を聞き、悪人らは歩くのをやめ、そこに立ってしばらく声も出せなかった。その後、悪人らは朱喜玉さんを引っ張って行って、彼女の両腕を支えて、監房に行った。悪人を指図していた悪らつな警官はわれわれに対してわめきたて、われわれを指差しながら「おまえたちは誰だ?」と聞いた。

 その夜、作業が終わった時はすでに夜9時を過ぎていた。階段を上がる時、一階から四大隊のある四階までの階段にはすべて血痕が多く残っているのが見えた。外は暗かったので、外に血痕があるかどうかは見えなかった。

 それから3年以上経ったが、朱喜玉さんの消息は何もない。彼女は今どこにいるだろうか? 魔窟から離れることができただろうか?

 2006年11月21日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/11/6/141866.html