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夫は迫害により死亡、法輪功学習者・穆萍さんは再び吉林の国安に連行された(写真)

(明慧日本)吉林省樺甸市の法輪功学習者・穆萍さんは2006年10月24日に、長春市朝陽区国税局の窓口で決算報告をする時、隠れていた吉林市国安に連行された。その後、不法に家宅を捜査され、パソコンと現金、及び7万元が貯蓄された通帳と大法書籍、真相CD-ROMなどを没収された。翌日吉林市留置場へ連行され、現在、穆萍さんは吉林市留置場の608室に監禁されている。

 穆萍さんの夫・邵慧さんは樺甸市紅石林業局紅石営林場の医者である。法輪功の修煉を堅持し、法輪功の真相を説明したため、2002年8月に吉林市公安局の警官に尾行され、その夜、迫害により死亡した。年はわずか31歳だった。吉林市の悪らつな警官は自分たちの犯罪行為を隠すために、情報を封鎖し、ずっと邵さんの家族に知らせなかった。

幸せだった穆萍さんと邵慧さん一家3人

邵慧さんと穆萍さんの息子・邵林ヤオ君

 今日に至るまで、穆萍さんと邵慧さんの息子・邵林ヤオ君は父親が残虐に殺されたことを知らない。毎回父に似ている男の人を見ると、彼は「うちのお父さんと本当に似ている!」と独り言を言う。他の人が林ヤオ君に大きくなったら何になるかと聞くと、林ヤオ君は警官になって、もっぱらあれらの悪い警官が良い人を捕まえないように取り締まる、そうするとお父さんとおばさん(同じく法輪功学習者であり、不法に12年の判決を言い渡された)も帰って来られると答える。彼は毎日この迫害が早く終わり、いつも心にかけている父親に会えることを望んでいる。強制労働教養所で3年近く迫害された母親が重病のため一時出所して家に帰った時、林ヤオ君は再びお母さんを失うことを恐れて、母親から寸時も離れなかった。母親が夜出かけて帰りが遅くなると、林ヤオ君はずっと寝ないで、座って待っていた。

 穆萍さんが再び国安に連行されたことを知った後、吉林の国安に電話をかけて聞くと、彼らは意外にも「穆萍さんを連行してない、どこにいるか知らない」と否認した。そして逆に、どうやって知ったのかと質問してきた。穆萍さんの家族の再三の追及で、彼らは後になって黙認するしかなかった。

 吉林市国安は穆萍さんの通帳を没収した後、樺甸建設銀行に行き、穆萍さんの預金7万元を凍結した。家族が銀行に行って預金を引き出そうとしたが、引き出せなかった。現在穆萍さんの76歳の母親は突然のショックに耐えられず、心臓病が再発した。

 穆萍さんと邵慧さんは本来家族3人で幸せに暮らしていた。2人は意気投合して、共に法輪功を修煉していて、息子は聡明で可愛く、物分かりが良かった。一家は人と争わず、温かく、静かな生活をしていて、皆に羨まれた。江沢民は、法輪功に対する血生ぐさい迫害を発動した後、穆萍さんと邵慧さんは何度も不法に家宅を捜査され、連行され、拘留され、強制的に労働教養を受けた。2000年12月、穆萍さんと邵慧さんは共に不法に強制労働教養3年に処され、残酷な迫害を受けた。2002年3月31日、邵慧さんは仕事に出かける時、正しい念と正しい行いで、正々堂々と強制労働教養所から脱出した。その後、邵慧さんは強いられて路頭に迷うしかなかったが、監禁されている親族と幾千幾万の迫害されている法輪功学習者を救援するために、そして嘘に騙されている人々を呼び覚ますために、依然として、いろいろな方法を尽くして人々に真相を伝えていた。

 2002年8月、吉林市豊満区地質2号棟の借り部屋に、尾行してきた吉林市公安局の悪らつな警官が突然侵入した。当時、邵慧さんと一緒にいたもう1人の学習者は7階から飛び降りて重傷を負い、邵慧さんは部屋の中で迫害されて死亡した。吉林市の悪らつな警官は犯罪行為を隠すために情報を封鎖し、ずっと家族に通知しなかった。邵慧さんの両親は2年あまりの間ずっと息子の行方を探していた。彼らはまた息子が戻ってこられることを待っていた。2人の老人は息子に対する思いと息子の生死に対する心配が過度に生じ、病気になって寝込んでしまった。邵慧さんの父親は両目がほとんど失明し、母親は高血圧に罹って、うっかり転んで腰椎を骨折し、歩くことが困難になった。2人の老人は心身ともに疲れ果て、重病に罹っているが、幼い邵慧さんの息子を扶養しないといけない。

 穆萍さんは強制労働教養所で修煉の心を固め、いろいろな虐待を受け尽くし、迫害により危篤に陥った。強制労働教養所は責任を負うことを恐れて、やっと2003年10月に穆萍さんに重病のための一時出所の手続きをした。
長春市朝陽支局孟家屯派出所
吉林市留置場


 2006年11月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/11/15/142501.html