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大法から生まれた正しい神の光を輝かせよう(三)


 文/北アメリカの大法弟子

(明慧日本)たくさんの同修は、生きたまま法輪功学習者の臓器を摘出する残酷な迫害の存在は、一部の学習者が旧勢力との間にそのような契約をかつてしていたからだと考えている。実はすべてがそうであるとは限らない。法を正す勢いが旧勢力の按配した最後の間隔を突破し、邪悪な黒い手は旧宇宙の法理すら遵守しなくなった。中共は法輪功学習者の臓器を摘出することを利用して中国大陸の大法弟子を迫害しているのは、まさにその現れである。

 また、たくさんの同修は、我々が中国大陸の大法弟子を海外に救出すると、中国国内では衆生を救い済度する学習者が足りなくなると考えている。この考えは局部的すぎる。旧勢力は「試練」を理由にどうしても中国大陸の大法弟子を中国国内に制限するのは、中国国内の大法弟子が大法弟子の主体であることを知っているからだ。旧勢力は中国国内の大法弟子の力を恐れ、そして憎らしく思っている。中国国内の大法弟子に執着があろうとなかろうと、旧勢力は迫害をやめない。ただ隙のない大法弟子を迫害しようとしてもできないだけである。中国国内の衆生を救い済度することは、どうして旧勢力の「試練」、そして中国国内の大法弟子を制限する理由になりえようか? 我々大法弟子は、決してこのような旧勢力の堕落した理念を認めてはならないのだ。

 また、中国国内における残酷な迫害は、中国大陸の大法弟子自身に問題があるからだと思っている同修もいる。このような考え方は配慮を欠いている。海外の大法弟子も同じような責任を持っているからだ。もし国外の大法弟子が邪悪を暴くことに尽力できず、積極的に邪悪を正念で取り除かなければ、邪悪に猶予を与えられるようになり、そして邪悪は中国国内の大法弟子を迫害する力を手に入れることになる。それと比べて中国国外の大法弟子の条件は国内の大法弟子よりも優越であるため、なおさら邪悪を取り除くことに尽力すべきである。

 大法弟子は必ず一つの全体でなければならず、まさに大周天の「百脈が一つになる」ようであり、そうなれば邪悪を取り除く力が大きくなる。すべての大法弟子が本当に一つの全体になるためには、回転する大法輪のように、説得や圧迫または攻撃ではなく、真に法に基づいて交流し、真に修煉において昇華しなければならないのである。

 ここで、交流したいいくつかの話題について触れておきたい。一つ目の話題は、毎週土曜の三つの時間の正時に行う発正念が終結してから、たくさんの同修は、自分はこれまでにあまりよくできていなかったと考えていた。実は真に法理に基づいて考えてみれば分かるように、自分がよくできなかったのではなく、よく修めなかったのである。よく修めなければどうしてよく実行できようか? そうではないだろうか? 実は仕事に没頭し自分を修めなければ、すなわち機縁を逸することと同じである。いくらお寺を建てようと、仏陀の境地に達しなければ仏陀になれないと同じ理屈である。

 法を正す要求が絶えず高くなり、最後になればなるほど要求も高くなる。真に法を正すことについていくのは簡単な公式ではなく、そしてどれほど仕事をしたのかということだけを見るものでもない。それは法を正す中で常に自分を修めることを忘れずに、自分の考えが常に法の要求に適うようにしなければならないのである。

 (続く)

 2006年11月25日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/11/23/143062.html