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2002年、迫害で死亡した葫芦島の法輪功学習者・王化臣さんが殴られた後の写真

(明慧日本)

 法輪功学習者・王化臣さんは葫芦島市の錦化集団有限責任会社の優秀な社員であった。2000年11月7日午後4時、化学製品工場のイオン膜の仕事場で不法に捕えられ、葫芦島市連山区の公安局の政保大隊に連行された。

王化臣さん

 政保大隊の4階で、4人の警官らは王化臣さんの上半身を裸にし、ズボンを膝下まで下ろし、両手は後ろ手にして手錠でスチームのパイプに固定し、棒や鋭い釘先の付いた棍棒などでめった打ちにし、また電気棒で電撃する等の拷問を加えた。包囲して2時間以上拷問で苦しめ、気絶すると冷水をかけて意識を取り戻し、そしてまた引き続き殴った。

 王化臣さんは再度意識を取り戻した後「私はあなた達のリーダーと話がしたい」と意思を伝え、リーダー(張俊生、現在すでに退職している)と2人きりになった時、王さんは「打つのはもう止めなさい、あなた達は私の骨を打ち砕いた。殴り続けることは拷問であり、そうすれば私はここからび降ります」と抗議した。張俊生は法の執行者であり、中国共産党の役人でもありながら、この危険な情況下、救うことはせず、かえって王さんを殴ったり蹴ったりしながらののしり、悪辣な言葉で「この状態になっても、まだ大胆に飛び降りると言うのか? 私の前で飛び降りてみせろ! 飛び降りなければまた殴るぞ!」と脅迫した……。

 王さんは飛び降りて、政保大隊の4階の下で意識不明の状態になっていた。時間は18時30分であった。裸の王さんはそのまま2時間半放置されていたが、誰一人助けようとしなかった。直ちに救急車で病院に運び緊急処置をするべきなのに。しかし張俊生は「自殺」という罪名から逃れようとして、用心棒達とあわてて対策を相談した。すでに19時なっているにも係わらず、凶悪な用心棒達は、王さんの家に押し入って不法な捜査を行った。結果何の証拠も得られなかった。21時になってやっと王さんを連山区の病院に送り、家族に知らせを出した。

 病院に送られた当時の王さんはあちこち多数骨折しており、全身の至る所に電気棒で焼かれた痕や、重い物に殴打された痕跡が残っており、悲惨で見ていられない状態であった。王さんは11月18日午前11時、冤罪が晴れないまま、山岳区病院でこの世を去った。連山区公安局政保大隊のリーダー・張俊生は罪の責任から逃れるために、王さんの死亡後に11月16日付で逮捕状を補っている。王さんは惨死したが、邪悪な用心棒の張俊生はいかなる良知も呼び覚ましておらず、かえって悪辣さが激しくなった。是非を転倒し人間性はなく、故意に王さんが「法に裁かれるのを恐れて自殺した」との罪名を捏造して中傷した。




 彼らは真相を隠すため、まだ新聞記者の取材を妨げている。王さんは父親を亡くし、母親と助け合って生きてきた。息子が亡くなるということは、母親にとってどんなに悲痛なことか、母親は終日泣き崩れている。この状況下でも狂暴な張俊生は毎日王さんの家に人をやっては、母親や友だちを監視し、また母親の友だちがこの真相を人に知らせることを恐れて脅迫している。

 2006年12月16日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/12/15/144727.html