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この万古なる修煉の機縁を大切にしてください


 文/大陸の大法弟子

(明慧日本)私は昨日から今日にかけて、師父の「ロサンゼルス市での説法」「2006年カナダ説法」をもう一度読み直した。今もなお印象に残っているのは、「皆さんの本当の向上はいつになっても、第一位のものです。皆さん自身が修煉して圓満成就することは、いつになっても第一位のものです。」「大法弟子の修煉の中で、真相を伝え、衆生を救い済度し、迫害に反対する中で、様々なことが起こりますが、いずれも皆さんのこの最も重要なことが妨害されてはいけません。このことは必ず、正しく判断すべきです!」という部分である。

 二つの経文の中で、何度も第一位という言葉があった。私達は常人から抜け出せず、常に常人の観念に留まっているのを見て、師父は大変焦っているのだ! 今日になっても、子どもや夫などの家族に対する情を放下できない同修は、まだまだたくさんいる。これまでに、「明慧週刊」の中で、この問題について何度も鋭く指摘されてきた。円満成就の期日がますます近づいている中で、この問題はさらに目立つようになり、情を断たなければ非常にきけんである。周りの同修を見れば、確かに少しずつ突破しつつあるが、法輪功と家庭の二つの選択肢が目前に置かれたとき、やはり私たちはまだ家庭の方を選んでしまい、家庭におけるさまざまなことを選んでしまい、大法を最も重要な位置に置いていない。同修たちよ、法を正す時期の大法弟子よ、早く常人の観念から抜け出し、この最も重要な大法を、私たちの命の最もミクロ的な部分まで同化させ、常に法を基準とすることさえできれば、常人の瑣事は取るに足らないのではないか。

 なぜ、たくさんの同修が静功をする時に、なぜ未だに卵の殻の中に座っている状態に達することができないのであろうか。つまり、私達の考えがまだ純粋ではなく、雑念が多すぎるからであると思う(私もそのうちの一人である)。今日、「明慧週刊」の「人から抜け出し、神になろう」という交流文章を読んでから、同修と交流することができて、大変感慨深いものであった。私の周りの同修たちも、この交流文章を読んで、自分自身に警鐘を鳴らし、精進することを切に願っている。

 私達は師父のご加護のもとで、1999年7.20に迫害から今日までの道のりは、実に多難なものであった。もし、私達が未だに修煉の目的を明確にせず、常人と神の両側を行き来しているだけでは、法を正す勢いが人間界に至れば、後悔してもきっと遅いであろう。なぜならば、私達が精進しないと、そして内に向けて探して修めることができなければ、本当に師父の私達に対して身をもって耐えてこられた負担と比例せず、師父からの期待を無にしてしまうことになる。それらの真相資料さえ配り、『九評』さえ配布し、煉功や発正念もして、三つのことをすれば必ず円満成就できると思っている同修は、ただ常人が大法の仕事をしているのにすぎないのだ。なぜなら、師父は『転法輪』の中で、はっきりと大法弟子たちに「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです。」とおっしゃっているように、すなわち名利及び情を修煉することで取り除く過程である。

 私達は人々に真相を伝え、迫害に反対し、各地を「行脚」の過程でもある。すなわち、さまざまな執着心を取り除く過程でもある。なぜなら、師父は順序よく私達の修煉の過程を按排してくだり、取り除くべき執着心を私達に示せば必ずそれを取り除くことができれば、これこそ最も速く、徹底的に修めているのだ。師父は『転法輪』の中で行脚について説法されている時、「彼は自分が煉功者であることを常に心掛け、人との関係を正しく処理し、心性を守り、絶えず心性を向上させ、常人のいろいろな利益の誘惑にも心が動じません。」とおっしゃった。

 最近の字の修正および「徹底的に邪悪を解体する」の経文が発表されてから、真に修める大法弟子は、切に師父は私達のために、同修たちを隔てるさまざまな邪悪の要素を取り除いてくださったことを感じているだろう。しかし、私達に残されている、真相を伝え衆生を救い再度する修煉の時間もますます少なくなっている。私の周りのたくさんの同修たちは、真剣にそして厳粛に自分の歩んできた修煉の道を振り返って、内に向かって探すよう精進しているのだ。

 それらの未だに常人の享楽に心を奪われ、あるいはあれこれと恐れ、常人の社会に符号して修煉することを理由に常人社会に対する執着を放下できていない修煉者たちよ、早く常人から抜け出し、神になろう。いかなる精進させない口実も、この万古なる修煉の機縁を葬りさってしまうことになるだけである。

 2006年12月25日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/12/23/145286.html