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広州市天河区の法輪功学習者・余新輝さんの救出を呼びかける

(明慧日本)余新輝さん(39歳男性)は、元天河区の法輪功学習者(現在は東山区へ引っ越した)で、大学卒。1994年より法輪大法を修煉し始めた。2001年6月、余さんは広州海珠区610オフィスに強制連行され、黄華路拘置所に不法監禁された。連行された理由は、黄さんの住む住宅棟に大法の真相資料が配布されていたことだ。公安は黄さんを容疑者として連行したという。2001年10月、余さんは秘密裏に白雲区チャ頭拘置所へ移送され、親族の面会が禁止された。2003年下半期に、6年の判決を不法に言い渡され、広東省四会刑務所三監区に監禁された。

 余さんは三監区に監禁されている時に、2人の刑務所隊長、1人の看守と6人の受刑者が余さんの迫害に加わり、3カ月にわたり連続してわずかな食事しか与えず、睡眠を取らせず、毎日拷問を強い、甚だしきに至っては、同性愛犯罪者を唆して、余さんを虐める等の手段を使い、信仰を放棄させようとした。極めて邪悪な迫害の下に、余さんは歩くことが困難になり、胃痛がひどく、不眠症にかかり、嘔吐し、食べ物が口に入らなくなる等の症状が現れたという。

 2004年12月、警察らは広東省司法当局と湖南省610オフィスでの昇級に誘惑され、余さん等の法輪功学習者に対して人間性を失った拷問を強いた。しかし、法輪功学習者たちの信念は動じることはなかった。余さんは迫害され、体が非常に衰弱すると、刑務所側はさらに治療を名目に、各種痛み止め剤、麻酔、アスピリン、「2546」等薬物を基準量以上で注射したため、余さんは排泄困難、瞳孔拡大に陥り、目が見えなくなったという。

 余さんへの迫害に関与した6人の受刑者の内の5人は軍人出身で、体形はがっしりしていた。しかし、後になって、余さんが迫害されたことが暴露されたため、その内の2人は東北の刑務所へ移送され、3人は刑の満期前に解放され、1人は四会刑務所に残して証拠隠蔽を企てた。その背後でけしかける者はまさに刑務所の警官なのだ。それからは、四会刑務所では犯した罪を隠蔽するために、数カ月ごとに人員移動をするようになった。

 余さんは6年間にわたる迫害の下、体は枯葉のように痩せこけて、顔には殆ど血の気がない。家族は三監区の看守・梁大チンら(もう1人は氏名不詳)に、余さんが刑務所で危篤状態に陥った際、責任を負ってくれるのかと問いかけた。悪らつな看守らは何と、人が死んでも刑務所は責任を負わないと返事をしたという。2006年初頭、家族は余さんを病院で全身の検査をさせるために、刑務所に対して釈放を求めたが、刑務所側の法執行科・欧科長は、余さんの病状は2級であり、解放しないと要求を却下した。

 余さんは2006年年初めに、腹部が脹れていたのみだったが、7、8月に入ってから吐血し始めた。刑務所の医療職員によると、余さんが刑務所で死んでいないことだけでも不幸中の幸いだという。

 世界の正義たる人々へ、力を合わせ人類の歴史において、最も邪悪な中共集団が善良な法輪功学習者に対する迫害を制止し、真理を堅持するために人道に反して迫害される法輪功学習者を救助するよう呼びかける。広東省全法輪功学習者へ、自己を放下し、全員が一体となり、苦難の中にいる同修を救い出すために強い正念を発するよう呼びかける。

 2007年1月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/12/27/145569.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/1/2/81383.html